尊重という言葉

他人が「尊重」という言葉を使うとき、同意や共感あるいは優先といった意味で使っているように思うことが多々ある。
そのたびにモヤっとした気持ちになるので自分の考えを書いておきたい。

尊重が同意や優先という意味だった場合、誰かと誰かの意見が衝突した際におおよそどちらか「尊重」されないという状況になると思う。
今回はこの人が尊重され、もう一方は尊重されなかったといったケースバイケースの判断になるんだろうか。


尊重するとはどういうことかと聞かれれば、シンプルに言えば
「自分がされたら嫌なことは相手にしない(やれないがより近いか)」

自分が自分自身という意識のもとで感情やらなにやらがあると認識するように、他人もまた同じくそれ(自我)を持っていることを認めること

理不尽なことを自分がされた・言われた場合、腹がたったり納得できないと考えたり要はネガティブな感情が沸いてくると思う。そして、その感情を相手に解消するような努力というか姿勢を見せてほしいと願うだろう。
逆に自分が他人に理不尽を働いてしまった場合、相手もまた自我をもっていると認めていれば当然あいての負の感情を解消しようと努力するだろう。そこでそう振舞えないというのは相手の自我を蔑ろにしている・あってないようなものと見なしていると考えられる。自身の感情が対象ならそんな扱いはありえないからだ。

つまり、尊重とは
①他人もまた自我がある存在であると認識
その中身として②他人の感情の落とし前をつけようとする姿勢
ではないか。

雑に言えば、却下された意志・意見もフォローがあればその人物の自我が軽視されたことにはならないわけで、結果で左右されるというのは否定したい。
(尊重を冒頭の意味で捉えている人々には、その人々も何かを伝えれば各々の解釈でなにかしらを受け取り反芻できる存在であるという前提を持ち、私の考えを示しこうだよと主張したことをもって”尊重できた”と思いたい笑)


この私の考えはどこまでも本人の感情・感性依存であるように思う。
他人の振る舞いに厳しい・つい被害者ポジに行こうとする人は、本人目線でネガティブな感情の解消をして貰えないので自分は人から尊重されないんだという認識に陥りやすいかもなと書いていて思いついた。
負の感情を抱きにくい人は、自分が平気なので人を傷つけても気が付かないわけで結果として他人にこの人は人の感情を軽視してるなという評価になるかもとも思った。




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