「げんこつやまのたぬきさん」で学ぶ、物語の視点
みなさまこんばんわ。
レヱル・ロマネスクシリーズの原案、シリーズ構成を勤めます、進行豹です。
このnoteでのわたくしは基本、
WEBTOON作品 『レヱル・ロマネスク0』のネーム
を延々掲載しつづけているのですけれど、ほんの時折
#作劇HowTo という、お話の作り方/書き方関連の記事を掲載しております。
その一環として、本日は、
『「げんこつやまのたぬきさん』で学ぶ、物語の視点』という記事を執筆してまいります
■ 「げんこつやまのたぬきさん」の視点登場人物は誰?
さて。
げんこつやまのたぬきさん というわらべうた歌詞を、以下に記載してみます。
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げんこつやまの たぬきさん
おっぱいのんで ねんねして
だっこして おんぶして またあした
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この歌詞、誰視点のものなのか考えたこと、ございますか?
一般的な解釈がどんなかを調べるために、
「げんこつやまのたぬきさん 歌詞 意味」でググってみますと、
”まだ幼いたぬきの日常が綴られている”
という解釈がなされています。
つまり、この解釈において、この歌詞の視点登場人物は
「たぬきの赤ちゃん」もしくは「たぬきのお母さん」となるわけです。
たぬきの赤ちゃん(お母さん)が、自らのことを歌っているわけですから、
これは『一人称視点の歌詞』となります。
しかし、そうなると――
「またあした」というセリフに多少の違和を感じます。
おっぱいのんで、ねんねして。
その直後に「またあした」ならまだわかる気もするのですが……
ねんねしている子狸に対して、さらに抱っこしておんぶして「またあした」――これがどういうムーブなのか、わたくしにはあまり理解できません。
ので「視点登場人物が別にいるのでは?」と考えてみます。
例えば歌詞の最後にセリフをひとつ加えてみます。
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げんこつやまの たぬきさん
おっぱいのんで ねんねして
だっこして おんぶして またあした
「あー、たぬきさんおやまにかえっちゃうみたい。
ほら、たーくんもバイバイってして? ね? またあしたって」
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つまり、こういうストーリーです。
お母さんが赤ちゃんをあやしていると、げんこつやまからたぬきがやってきて庭先で赤ちゃんをじっと見ている。
おっぱいあげて、ねんねしてもまだいる。
だっこしておんぶして――たぬきが飽いてしまったのか、どうやら山に帰るようだ。
お母さんは赤ちゃんの手を振って、赤ちゃんになりかわって、たぬきへと声をかける。
「またあした」
……この解釈ですと、「またあした」は、先の解釈よりはまだ腑に落ちるものとなるような気がします。
この場合「たぬき以外の何者かが、たぬきのことを語っている」歌詞になるので――『3人称視点の歌詞』となりましょう。
■物語の視点とは?
前者のように「物語の語り手=物語の主役」である物語を『1人称視点の物語』と呼びます。
げんこつやまのたぬきさんを、もっとはっきりとした1人称視点の物語に書き換えてみると、こんな感じかと思います。
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ぼくは たぬきのあかちゃん。げんこつやまにすんでる。
おっぱいもらってねんねして
だっこしておんぶしてもらってまいにちすごしてる。
あ、おかあさん、ねちゃったみたい。ぼくももいちどねんねしよ。またあした。
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後者のように「物語の語り手≠物語の主役」である物語は『3人称視点の物語』となります。
こちらももっとはっきりとした3人称視点の物語にすると、こんな感じかと思います。
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げんこつ山には子だぬきがいた。
子だぬきは、里に折りて人間の赤子を見るのが好きだった。
おっぱいを飲む、ねんねする。
だっこされる、おんぶされる――どの姿を見ていても、飽きない。
飽きないけれど、腹は減る。
山に戻ろうとした瞬間、偶然か、赤子がばいばいと手を振った。
赤子の母も、笑って言った。
「またあした」
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――この場合、視点登場人物は物語の外にいます。
いわゆる「神視点」とか「作者視点」と呼ばれる物語なわけです。
■ なぜ『げんこつやまのたぬきさん』の歌詞はわかりづらいか
――それはつまり”視点がはっきりしていない”からです。
逆説的にいうのなら。
誰かに呼んでもらいたくて、内容をうけとってもらいたい物語を書くのであれば
「1人称視点の物語か3人称視点の物語か」をはっきりさせることの重要性がわかってきます。
1人称視点で、例えば章ごとに主人公=視点登場人物が変わる、などという構成もありですが――
『一つの物語の中で、1人称と3人称が変わってしまう』ことは、よほどの仕掛けが無い限り、避けた方がいいでしょう。
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「よし! いける!!!」
確信とともに、俺はアクセルを強く踏み込む。
だが――この確信が錯覚であったのだと、綾人は後に、痛切に後悔するのであった。
(つづく)
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とかが、混在文書の例となります。
(1、2行目は1人称視点なのに、3行目で急に3人称視点になってる)
このような混在は、読者を一瞬にして「物語の世界から冷ましてしまう」という効果を発揮します。
ので、そのような意図をもって構成するのでない限り、避けておいたほうがよいでしょう
■ まとめ
・物語をわかりやすく書くためには「視点」をはっきりさせることが有用
・一般的な物語の視点には「1人称視点」「3人称視点」がある
・1人称視点、3人称視点、どちらをとっても物語はわかりやすく執筆できる。が、両視点を混在されることは避けるべき。
――と、本日はこんな感じとなります。
ほんのすこしでもどなたかの作劇の助けに、あるいは反面教師となれておりましたら幸いです。
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ネームとあわせて、どうぞご笑覧いただけますと幸いです。
本日のショートストーリーは以下となります
『れいなとテンガロンハット』
(あらすじ)
バーベキュー列車の乗務員衣装選定のさなか。
れいなはテンガロンハットに興味を示します。
その名の由来を知らされると、興味はますます膨れるのです。
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