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ヒラリークリントン・ビルクリントン

夫ビルクリントンも米大統領を務めた。

満を持して妻ヒラリークリントンが初のアメリカ女性大統領になる予定だった。

そのためには、自分たちに都合の悪いことを闇に葬ってきたんだと思う。

そう思わざるを得ないほど、クリントン夫妻の周りには常に不審な死が付きまとう。

JFKジュニア

1999年7月16日。JFK ケネディ大統領の息子(JFKジュニア)が妻とともに乗り込んだ小型機が、墜落し命を失った。

実はその墜落死の前日、JFKジュニアは紙面のトップを飾っていた。

彼は、当時ニューヨーク上院議員の席をめぐってヒラリークリントンと戦っていたのだ。

そして、ヒラリーよりも、JFKジュニアが勝利するだろうと紙面に踊ったのである。

その翌日、突然の機体トラブルによる墜落死。

JFKジュニアは、少しでも飛行に懸念が見つかると、飛行自体を取り止めるほど慎重な性格だったそう。

それが視界がそれほどクリアでもない日に飛ぶ必要があったのだろうか。最愛の妻もろともクラッシュし死んでいった。

JFKジュニアが飛行機事故死をした後に、ヒラリークリントンはニューヨーク州の上院議員の席を勝利し掴み取りました。

クリントンの近くで次から次へと不審な死を遂げていった人物は50名を超えると言われています。

メアリーマホーニー

ワシントンDCにあるスターバックスで、3名が殺される事件が発生した。

何発もの銃弾が撃たれた悲惨な事件だった。

殺された中にメアリーマホーニー(25)がいた。彼女は、ホワイトハウスでインターンとして勤めたあと、殺害現場となったスターバックスでアルバイトとして働いていた。

アメリカでは学校の推薦などで、ホワイトハウスでインターンとして働く経験を得るプログラムがある。

メアリーマホーニーにもその一人で、ホワイトハウスでインターンをしていた。

その時の大統領が、ヒラリーの夫であるビルクリントンだったのだ。

しかも、メアリーマホーニーが殺された当時、世界を騒がせたビルクリントンとモニカルインスキーとの不倫が発覚していた。

モニカルインスキーも、インターンとしてホワイトハウスに所属していた。

その時に起きた殺害事件。ビルクリントンはメアリーマホーニーとも何等かの関係があったのではないかと取りざたされた。

殺害されたとき、夜8時にスターバックスは店を閉めた。

その後、メアリーマホーニーら3名は、営業を終えた店にわざわざ戻ってから殺されたという妙なことが明るみにでた。しかも犯人は、店のお金も品物も何も持ち去っていはいないのだ。

リンダトンプソン

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