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プリンセス ダイアナ

イギリスに咲いた一輪のバラ。
プリンセス ダイアナ。

1997年8月31日(日付が変わったばかりの深夜)、パリ市内のトンネル内で車が大破する事故が起きました。

車に乗っていたのは4人。

ダイアナ妃、ドディアルファイド(当時恋人と言われていました)

ボディガード1名、ドライバー1名の計4名です。

事故発生当時、ダイアナは生きていました。

駆けつけた最後に彼女の言葉を聞いたパリのレスキュー隊の方もいます。

彼女の最期の言葉は「マイゴッド、一体何が起こったの」でした。

車が大破する事故にあってショックを受けているのが分かります。


事故は瞬く間に世界中に報道されました。

フランスとドーバー海峡を隔ててすぐの英国にも、悲劇の報告は届きました。

当時、ダイアナはチャールズ皇太子と離婚したばかりでした。(1996年に離婚成立)

世界中のパパラッチに追われる日々が続いていました。


ダイアナが悲劇の最期を遂げる約1か月前、ダイアナと二人の王子、ウィリアムとヘンリー(愛称:ハリー)は、ドディアルファイドの父親で億万長者のモハメドアルファイドに夏のヨットで過ごそうと誘われていました。

その誘いに快く応じたダイアナ。

ヨットで過ごすつかの間の時間をウィリアム王子と、ヘンリー王子とともに楽しみました。

そこには誘ったモハメドアルファイド以外に、恋人のドディアルファイド、さらにドディの母親違いの妹と弟(3名)がいました。

片親が違う兄弟姉妹のことを英語ではハーフブラザー、ハーフシスターと呼んだりします。

このハーフブラザー&シスターが、ちょうどウィリアム王子やヘンリー王子と同じような年ごろでした。

ドディの妹、カミラアルファイドは、ヘンリー王子よりも1歳年下で、王子たちと兄弟姉妹のように仲良く遊んでいたそうです。

ヨットだけじゃなく、王子たちが誘って、ロンドンにあるケンジントン宮殿で過ごしたり、コンピューターゲームでは1つのチームになって戦ったのと語っていました。

ウィリアム王子は静かにそこにいて、母親のダイアナのことを気にかけて、いつも部屋を開けて、いつでも母親がウィリアムに会えるようにしていたそうです。

カミラアルファイドいわく「ウィリアムの振る舞いや気遣いは繊細で完璧に王子様だった」そうで、当時14歳のウィリアムが醸し出す王子の雰囲気を感じ取れるエピソードです。

ヘンリーはウィリアムよりも快活で、悪戯好きな子供だったそう。当時12歳、カミラアルファイドとも気があってよくおしゃべりしていたそう。

そんな3人の仲を一気に引き裂いたのが、ダイアナ妃とドディアルファイドの死でした。

カミラアルファイドの言葉が紙面のTOPを飾りました。

「私は兄を亡くし、ヘンリーは母を亡くしたのよ」

それから、10年もの間、お互い連絡を取ることもなくなったそうです。

それが2007年、突然ウィリアムとヘンリー両王子から「招待状」がカミラアルファイドさん宛てに届きました。

それは1997年でこの世を去った母ダイアナの死から10年が経過したことを記す記念の式典への招待状でした。

この式典は王子2名が主導で行い、カミラアルファイドさんへの招待状も王子2人が決めたそうです。

ドディアルファイドも共に亡くなった、彼の家族から誰か1人を招待するべきではないかと王子たちは考えて決断したそう。

父親のモハメドアルファイドは息子ドディとダイアナは暗殺されたと主張して憚らないので、父親に招待状を出すわけにもいかず、考えた結果、仲が良かったカミラアルファイドに白羽の矢が立ったと思われます。

ともあれ、イギリスを中心にマスコミは連日書き立てていました。幼い恋の再燃かなどと書いたタブロイド紙もありました。

下世話な勘繰り、パパラッチによって途絶えた命があることなどから、先ほど紹介したカミラアルファイドの言葉に繋がったのでしょうか。

「私は兄を亡くし、ヘンリーは母を亡くしたのです」

当時12歳だったヘンリー王子は、世界中が見守るなか、母親の棺を馬車が引く後ろを祖父フィリップ、父チャールズ、兄ウィリアム、ダイアナ妃の弟と共に歩きました。

その時のことを振り返って「突然母親が亡くなって混乱している12歳の子供にあんなことをさせるなんて残酷だ」と語りました。

カミラアルファイド

父親のモハメドアルファイドはパリで最もゴージャスと言われているホテルリッツのオーナーです。(ダイアナ妃が最後に休憩を取ったホテルです、このホテルから出発した直後、事故にあい命を散らしました)

カミラアルファイド自身、いくつかの企業を持っています。

ウィリアム王子とキャサリンさんの婚約発表の日にキャサリンさんが来ていたロイヤルブルーのドレスが話題になりましたが、そのドレスはロンドンのブランド、Issa Londonもカミラアルファイドが所有していてそれも話題になりました。

婚約時のヘンリー王子とメーガンさん(左)とウィリアム王子とキャサリンさん(右)

ちなみにケイトはキャサリンの愛称です。

メーガンさんのファーストネームはレイチェルです。奇しくも彼女の出世作スーツでの役名と同じです。


2007年王子2名が主導で行ったダイアナ妃没後10年の式典でヘンリー王子はこのような言葉を残しています。

「母も父も全力で僕ら子供の安全を守ってくれました。いま僕らは母の意思を継いで社会にとって何かよい変化が起きるようチャリティなどもこれまで以上にやっていきたいと思っています。僕は母の死にこれまで向き合うことができませんでした。きちんと向き合えなかった。母は冗談が好きで明るく楽しい人でした。僕らの肩をぽんと叩いて大きな声で笑っていたのを思い出します。皆さんが母を思い出すときに陽気で冗談が好きな母の姿を思い出してほしいです」

このヘンリー王子の言葉のときに、そっと涙をぬぐうウィリアム王子の姿も映し出されていました。

この時、チャールズ皇太子はカミラ夫人と再婚を果たしていました(2005年に再婚しています)。

カミラ夫人は最後まで出席するかどうか迷ったそうですが、当日はダイアナ妃のことを思い出してほしいとの思いから出席を見送ったそうです。

新聞にダイアナ妃の知人の1人が「カミラ夫人はこの式典には参加するべきではない」と談話を寄せたことも参加しないと決めた決定的なものになったそう。

息子2人はカミラ夫人に対しては、「1人になった父親を幸せにしてくれた女性」と認識しており、とくにわだかまりはないんだとか。

ヘンリー王子はメーガンさんのことを、「母が生きていたら、きっと意気投合していたはず。社会貢献の仕事もしっかりしてくれるはず」と全面に信頼を寄せている様子。

メーガンは年上女房で、離婚歴があり、さらに黒人と白人とのミックスレースです。

こんな型破りなプリンセスはかつていませんでした。

それでも、エリザベス女王が許可したのだから、時代は変わったんだなと思いました。

メーガンさんは「ダイアナ妃にお目にかかることは出来ないけれど、こうしていると、すぐおそばにいてくれると感じます。それがとても大切だと思います」と語っています。

ダイアナ妃、ウィリアム王子、ヘンリー王子。


今も後を絶たない陰謀説。

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