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機巧少女は恋を知る――鬼頭明里「23時の春雷少女」

こんにちは。かみなりひめです。

今回のnoteは、今日11/23に誕生日を迎えた
ワタクシの親友に捧げたいと思います。

某アニラジのはがき職人仲間として出会い、
(ワタクシは”職人“なんて胸を張れない若輩者ですが)
水樹奈々さんなど各種ライブを共にしてきた、
大切な戦友のひとりでございます。

さて、
そんな彼がここ近年ハマっているのは、
Clarisのお二人と鬼頭明里さん。

田淵(智也さん)だよ」って
数年前に彼がオススメしてくれた楽曲が、

鬼頭明里「23時の春雷少女」

彼が勧めてくれたこの曲を順に読み解きながら、
この曲の妙に迫りたいと思います。




1. うまくいくはずの恋だった

壮麗に走り出すピアノの旋律と
爽やかなバンドサウンドで曲の幕が上がると、
まずは「君」を見初めた「私」が描かれます。

街を包む風と誰か(Are you living? “Yes”)
呼ばれてても識別とかできない
私この世界で響き合える通じ合える特別な声
その声が君だった

(鬼頭明里「23時の春雷少女」)

「誰か」という程度にしか他者を認識できなかった
「私」が、その特別性を認めたのが「君」でした。

しかも、その「君」という人間は、
「この世界で響き合える」「通じ合える」と
断言せしむるだけには特別であるようです。

そのようにして「君」を見初めた「私」は、
「君」との距離を縮めようとしてゆくわけです。

かくして少し近づいたんだ
君の勇気を感じ取った

コマンド?ファンファーレ響くはずが…
エラーコード!

(鬼頭明里「23時の春雷少女」)

それに対して「君」も「勇気」を見せるかたちで
「私」の気持ちに応えるかのように振る舞います。

だからこそ、「私」が期待したBGMは
他ならぬ「ファンファーレ」であったわけです。

「ファンファーレ」とは、

ファンファーレ〔名〕
祝典・軍隊の儀礼などの進行合図に用いられる、トランペットやホルンなどの金管楽器による短いはなやかな曲。

(『日本国語大辞典』より)

と定義されています。
「パンパカパーン」という擬音で書き表される
ことが多いような感じですね。

「祝典・軍隊の儀礼」の場で掛けられることから、
祝祭的雰囲気を醸し出されます。

ところが、実際の「君」の答えは、
祝祭という想定とはおよそ反するものでした。
ゆえに、「私」はコマンドエラーを疑うのでした。

まるで春雷、目を奪って走った君がいない方へ
それは推定23時 理由が説明できない(Are you press “NO”?)
だけど鮮明 ふと浮かんだ記憶は甘いキスのflash back
これは幻想?予期しないんだ 迷ってる 誰か教えてよ

日付が変わる少し前 プログラム確かに書き変わったんだ
名前をつけよう、君が恋だった

(鬼頭明里「23時の春雷少女」)

「君」に気持ちを受け入れられなかった
「私」は、「君」から即座に距離を置きます。

「理由が説明できない」とする「私」ですが、
そのあとにある( )の中身を見る限りでは、
じゅうぶん「理由」を理解していると思しいです。

「私」の心の動きに関する言葉を拾うと、
「プログラム」「エラーコード」などのように
機械を搭載したヒューマノイドを髣髴とさせる
ものがちりばめられていることに気づきます。

それを踏まえて考えれば、
ここでいう「Are you press “No”?」の「press」とは
「ボタンを押すこと」を指しているでしょう。
(正しくは「Did you press ”No“?」な気がするが)

そして、「No」のボタンを押したのか?と
疑問を呈しているということは、うっすらとでも
「君」に拒否されてしまったことを認識している
「私」の悲哀が看取できます。

そして、「君」に拒否されてもなお
「君」との「甘いキス」を想起できるというで
「私」はその自己認識を新たにするのです。

「君」への気持ちは、「恋」だったのだと。


2. 「君」に託す恋心

「君」の前から姿を消したことで、
「私」の心は平穏を取り戻すのですが……。

水面はもう揺れること無く(Are you living? “umm…”)
夜に混ざる 言葉たちは儚い
本音くらいすぐに 躊躇も無くはじき出せる
はずだったよ はずだったよ はずだった

(鬼頭明里「23時の春雷少女」)

夜闇に吸い込まれて消えゆく「言葉たち」の
頼りなさのために、「本音くらい」「躊躇もなく」
口にできると過信している「私」なのでしたが、
現実は決してそう甘くはなく。

お願いだ 私の声が言いたがる
「ここにいるんだ ごめん 見つけて」
…もう少しなのに、フリーズする!

(鬼頭明里「23時の春雷少女」)

「君」に見つけてほしいと願う「私」の本音は
口から表出されることはありませんでした。

自分からはアプローチできないと悟ると、
相手からの接近を庶幾うほかありません。

だから春雷みたくどうか奪って私のあらすじを
この世界ではじめたいんだ
理由は聞かないでほしい(Are you press “NO”?)
だって感情難しいんだ デリートできずに増えていく
なんて複雑多岐なチャート 映して君を考えてる

(鬼頭明里「23時の春雷少女」)

人間の人となりというものは、
その人間が歩んできた物語と同義です。

たとえば、履歴書に記載する事項は、
卒業した学校、経験した職種などがありますが、
これはその人の歩みそのものであると言えます。

ならば、ここで「君」に奪われたいと願う
「私のあらすじ」とは、「私」そのものでさえ
あるのだと言い換えることができましょう。

ただ、その「理由」については
「聞かないでほしい」と明言を避けています。
その背景に「感情」の複雑さを挙げていますが、
こればかりは本当であると思われます。

この「私」がヒューマノイドに擬せられている
というのは前に触れたとおりです。

「AならばB」という論理の範囲で動く機械に、
ロジック通りに進まない感情を集積して理解する
ことは難しいということなのでしょう。

どうしよう こっからは無理だよ
ダメだな 呼吸を止めた瞬間に
涙になったよ 君は夢だった

(鬼頭明里「23時の春雷少女」)

いよいよ「私」も諦めモードです。

「君」はあくまで「夢」であるとして、
到達したいと願いながらもなかなか届かない
対象と認識するに至ってしまいました。

そんな時にこぼれたのが「涙」でした。


3. 機巧少女からの脱却、そして――。

「君」を諦めるか、という境地のなかで
「私」が流した涙。

これを認識したとき、
「私」のなかに突破口が開けてきます。

…涙?これは涙?
知ってる 私 知ってるみたい
プログラムは音を立てないままで
心になった!

(鬼頭明里「23時の春雷少女」)

ここでは、
静止している「プログラム」と
「心」との対置とが見て取れるでしょう。

「プログラム」は、ここまで述べてきたとおり、
「私」の中にある機械的な側面です。

複雑な感情を理解するのに困難を感じていた面
であると言ってもいいでしょう。

その「プログラム」は静止しているのに対し、
生まれてきたのは「心」であるわけです。

ヒューマノイドを脱却し、人間の「心」を得た
「私」は、ふたたび「君」を求めていきます。

その様子は、階段を駆け下りるかのように
小気味よく紡がれるピアノの旋律、そして
機会を思わせる打ち込み音のシンセサイザーで
演出された間奏によって印象づけられます。

まるで春雷、どこにいたって感じるよ、君を今探してる
それは推定23時49分
どうか届いて欲しいんだ!(Are you press “YES”?)

(鬼頭明里「23時の春雷少女」)

「私のあらすじ」を奪ってほしい、と
「君」への願いをぶつけていた「私」は
すでに過去のものになっています。

また、「Are you living? “umm…”」と、
その存在を認知できなかった「君」を、
どこにいようとも確認することができています。

そして、物語は最終局面を迎えます。

まるで春雷、目を奪って走った君がいない方へ
あれは推定23時 時計は今しか指さない(Are you press “YES”?)
だから鮮明 ふと浮かんだ未来は甘いキスの直前
これは幻想?そうじゃないんだ 答えは今すぐはじき出す

(鬼頭明里「23時の春雷少女」)

1番サビでは「それ」であったのが、
ここでは「あれ」と変更がなされており、
同じ事象に対する指示代名詞に違いが見られます。

ご存知のとおり、
「それ」よりも「あれ」のほうが
遠くにあるものを指すニュアンスがあります。

つまり、
「まるで春雷、目を奪って走った君がいない方へ」
は、すでに過去のことであることを言明しつつ、
いまの自分は同じ轍を踏まないことを示唆します。

鮮明に浮かび上がる「キス」の場面も、
「君」へと歩みだしている「私」にしてみれば、
それは「幻想」ではなく、主体的に現実にしてゆく
ものとなっていました。

日付はもう間もなく変わる 私と君も今変わるんだよ
証明は終わり、これが恋だった

(鬼頭明里「23時の春雷少女」)

日付の変化と、二人の関係性の変化とが
ここで関連付けられることになります。

「恋」とされるモノが「君」から「これ」へと
変わっているわけですが、ここでいう「これ」は
「私」と「君」との関係性を指し示しています。

ならば、
「君」という対象に一方的に抱いていた恋心は、 「君」との相互関係の中に見出されるようになった
ということになりましょう。

ここに「私」と「君」の恋愛が成立したのでした。


4. 「春雷」の喩、時間の妙

さて、鬼頭明里「23時の春雷少女」を
そのストーリー順に読み解いてきました。

ここまで、意図的に触れてこなかった部分が
サビの歌詞の中に二つありました。

① 「春雷」のイメージ

曲のタイトルにも含まれる「春雷」の語ですが、
以下のように説明されます。

春雷
春に轟く雷。単に「雷」とだけいえば、夕立にともなう夏の雷のことだが、春もまた雷の印象的な季節。とくに二十四節気の啓蟄(三月六日頃)の頃に鳴る雷は「虫出し」という。

(『日本の歳時記』による)

単なる雷なのではなく、春の訪れを知らせ、
虫たちを目覚めさせるような雷であるわけです。

「春」といえば、何かの芽生えの季節であり、
また「青春」を連想するモノでもあります。

そう考えると、
「春雷」の比喩の意味するところは、
青春の芽生えであり、二人の恋の目覚めである
と言えるのではないでしょうか。

② なぜ「23時」台であるのか?

前項までで確認してきたとおり、
「私」と「君」との恋は、日付の変更とともに
成就すると歌詞の中にはありました。

日付が変わる午前0時、すなわち24時に
二人の恋が実るということは、その1時間前である
「23時」というのは、恋の成就目前であると
位置づけることができそうです。

つまり、歌詞の中に現れる時間は、
現実世界における「23時」を表している
わけではないということです。

(二人の物語が、深夜のたった1時間の間に
 紡がれたものではないということです)

実りそうで実らなかった23時、
「君」に向かって進みだした23時49分、
そして日付変わって恋が実る。

戻ることなく進んでいく時間に、
二人の恋模様がなぞらえられているのは、
恋模様そのものの不可逆性をも表現するためで
あったのでした。


5. おわりに

キトアカさんの素敵な曲に巡り合わせてくれた
親友に、ワタクシからは以下の曲を贈ります。

(またニジ現場でも会いましょう!!!)

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