黒田忠之と刀剣男士についての考察

はじめに

本記事はゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』の非公式考察記事です。
ゲーム内容のネタバレが含まれます。
また、歴史や刀に関しては素人が調べた範囲になりますので、誤りや誤解等が含まれる可能性があります。

また、呼称として実際の刀を指す場合は「日光一文字」「圧切長谷部」とし、刀剣男士を指す場合は「日光」「長谷部」などの略称とします。

2024/10/9 追記
歴史や実際の刀は刀剣乱舞とは別物です。
この記事も、あくまで刀剣乱舞という創作作品の元ネタとしてこういう歴史上の話が採用されてるのではないか、という個人の考察と解釈でしかありません。
実際の歴史上の人物や刀と、本記事や刀剣乱舞を混同しないようにお願いいたします。


黒田忠之とは

黒田忠之は黒田官兵衛の孫で福岡藩2代藩主だったとされる人物です。
しかしながら『黒田騒動』と呼ばれる大きなお家騒動を起こしてしまった人物でもあります。
また、刀剣乱舞の作中では博多の手紙でしか言及がありませんが、歴史上では日光や長谷部にとっても『前の主』に当たります。

調べていく中で二振りにとっては結構重要人物なのではないか、と思いましたので今回まとめました。

跡継ぎ問題と黒田騒動

まず、忠之周りの歴史をざっと見ていきたいと思います。

忠之は福岡藩初代藩主・黒田長政の長男でしたが、すんなりとその跡を継げたわけではありませんでした。
長政に跡を継ぐことを反対されていたのです。

黒田家家臣で忠之の守役でもあった栗山大膳の働きもあって、紆余曲折ありながらもなんとか長政の跡を継ぐことに成功した忠之。
しかし、その後は重臣たちの言葉も聞かずに我儘を重ね、お気に入りの小姓を独断で家老にして独裁状態を作ったり、すでに徳川の世であったため他の家は軍備縮小傾向にあるにも関わらず軍船の建造や大勢の足軽を新たに雇うといった行動にも出ました。

博多が手紙で忠之について語っていた「金遣いが荒い」というのはこの辺の話かと思います。

その後、忠之の言動によって彼と対立しつつあった栗山大善は藩を潰さずに忠之をなんとかするため策を講じます。
主君に対する反逆の罪に問われることを覚悟で、九州の目付け役の家に「藩主に反逆の企てあり」と連絡してしまうのです。

結果的に徳川幕府にお𠮟りを受けた忠之は一時的に領地召し上げとなりますが、関ヶ原の戦いで小早川を交渉で寝返らせた父・長政の活躍を考慮して特別に領地を全て返してもらえました。
また栗山大善も主への反逆ということで幕府の命により奥州の盛岡に送られることになりますが、盛岡では罪人扱いされることはなかったそうです。

このあわやお家取りつぶしになりかけた出来事が『黒田騒動』です。

日光一文字と圧切長谷部

刀剣乱舞の話に戻ります。
刀剣男士の日光ですが、シャツや内番着が色違いのお揃いだったり、似た言い回しのセリフがあったりと長谷部を意識したキャラ造形になっています。
これは日光一文字の拵をかつての圧切長谷部の拵とお揃いにしていたという話が取り入れているためだと思われます。
※残念ながらどちらの拵も現存していません

この圧切長谷部とお揃いの拵を用意することになった経緯に忠之が関連してきます。
長政が亡くなってすぐ、日光一文字の拵を圧力切長谷部と同じものにするように埋忠明寿に依頼した書状『日光一文字刀之拵注文』が現存しているのですが、この書状を送った人物こそ忠之です。

実は当時、なんとか家を継ぐことができた忠之ですが、圧切長谷部を受け継ぐことはできませんでした。
『金銀道具之帳控』によると圧切長谷部は忠之の弟・高政に財産分与されており、このことから忠之は日光一文字を圧切長谷部に寄せようとしたのではないかと言われることもあります。※諸説あり
ちなみに日光一文字は官兵衛が忠之に贈っているので、長政の刀だったことはなかったと思われます。

のちに高政が先に亡くなったため圧切長谷部も忠之のものになったようですが、しばらくの間は日光と長谷部がそれぞれ異なる主に仕えていたことになります。

そして、黒田騒動がのちに江戸の三大お家騒動の一つと呼ばれて歌舞伎や森鷗外の小説の題材となって物語化していること、先ほど記載したように衣装やセリフが長谷部を意識したものになっていることから日光には拵の話 = 忠之の物語も現れているのではないかと考えました。

日光の言う『弟分』

刀剣乱舞の回想其の47『黒田家の弟分』を見てみます。

まず日光が日本号に酒を飲んでいることを嗜め、そこから身分の話になります。
これは長谷部と日本号の回想である回想其の21『黒田家の話』と言い回しは違えどほぼ同じ流れですが、ここからが異なる点で日光は日本号のことを弟分扱いし「小言も言いたくなる」と言います。
さらに日光は日本号だけでなく黒田の刀は皆弟分で、自分はそのつもりだと続けるのです。

この回想、言葉に注目すると日光が一文字一家に所属しているわけではない日本号や長谷部に対して一文字一家と同じ感覚で彼らを扱ってるという印象だったのですが、日光が忠之の物語を受け継いでいると仮定すればこの辺りに合点がいきます。

忠之は紆余曲折あり父・長政の反対を押し切って当主になった、という背景があるので「自らが当主である」と黒田家の中で示さなければならなかったという側面が当時はあったのではないでしょうか。
特に長政の死後、すぐに日光一文字の拵として圧切長谷部の拵と全く同じものを作成して欲しいと依頼を行った話は、その辺りを象徴する話のように私は思います。

回想其の47『黒田家の弟分』はかなり複雑な事情が絡み合った話だったのかもしれません。

参考ページ

参考書籍

黒田家文書 第二巻


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