【再投稿】山キャン感想文

学園通信をちゃんと読んでいない皆さんにも読んでいただきたく、先日学園通信に載せて頂いたキャンプの感想文の再投稿をさせていただきます。

世の中とは、戦場である。購買部で買った200円のシャーペンを振り回し、定期試験の「平均点」などという幻想と死闘を続ける戦士達。平均点が40点ぽっちのテストで「やった!41点!耐えた耐えた耐えた!!」一体どこが耐えているのだろうか。 この世の中において、戦士であることを避けられる人間など存在しない。うんどうかいのおいかけっこ、さんすうのテスト、入学試験、三角関係、就職活動、出世争い。これらの戦場は絶対に勝者と敗者を生み出す。現に読者の皆さんがこの学校で過ごせているのは、同じ志を持った他の奴らを蹴落とし、入学試験か教員採用試験で勝者に成り上がったからに他ならない。戦士達は今日も、敗北という名の泥水をいかに自分が啜らずに他人に啜らせるか、闘争を余儀なくさせられる。 たかが前置きで盛大にカッコつけた感が否めないが、今回私がこのキャンプに参加した理由は、そんな争いばかりの生活から身を置き、大自然の中で心の傷を癒したいからだ。今回のキャンプの目的はヒュッテの清掃であり、癒されにくる為のイベントではないのだが、気が置けない友人たちと食事を共にしたり、暖炉を囲んで談笑したりすることで心が落ち着くことは間違いないであろう。 2日目の昼ご飯前。ヒュッテの清掃を終え手持ち無沙汰になっていた我々は、昼ご飯の白米を炊く係を賭けてトランプで遊ぶことになった。日頃トランプで遊ばない人もいるので、「ババ抜き」に白羽の矢が立った。ルールは皆さんご存じだろう。残りの2人によるジョーカーの押し付け合いが熱い勝負を生み出すゲームである。 手札が配られた。この8枚、たったの8枚で、昼食の準備の中でも責任がずば抜けて重いご飯係が決まってしまう。たかが紙切れでそんな、なんて戯言は許されない。勝負とは所詮そんなものである。自分の紙切れに目を通す。J、8、4、7、Q、3、A、8。やった。ペアがある。耐えた。 だが肝心なのはここからである。自分が最初にするアクションは「引く」なのか「引かれる」なのか。最初のアクションが「引く」の場合、自分が引くときはカードの枚数は常に偶数枚になる。つまり、最終的には2枚になり、有効なカードは2種類になる。カードを揃えたら残りの1枚を引かれてあがることができる。逆に「引かれる」の場合は、自分が引くときにカードは常に奇数枚。最終的には1枚になるので、有効なカードは1種類のみ。揃う確率は2種類の場合の半分になる。この1枚で大きく勝率が変わる。 と、作戦を練るだけで戦局が一変するはずもなく、気づけば私の最初のアクションは「引かれる」になってしまった。俺はいつもそうだ。あれやってみたいな、これやってみようかな、と考えて口に出すまでが精々関の山、実行に移したことが一切ない。そんな奴の最初の行動など受け身で十分なのだ。 と、自分を蔑む言の葉を虱潰しに毟っている間に、博打は始まった。いや、始まってしまった、の方が正しいのかもしれない。オール1本もまともに持てない私は、勝負という名の波に身を任せてただただ揺られる他なかったのである。 勝負の荒波はさらに私を嚥下していく。ペアができない。待てど暮らせどペアができない。私の手の中で、6人のぼっち達が泣きそうな顔をして私の方を見ている。一人、また一人と勝ち抜け、傍観者になっていく。気づけば、私は残りの二人に、まさか自分がなりやしないだろうと信じ込んでいた、その残りの二人になってしまっていた。私はスペードのエースを抱えて、相手の隣の席に腰を下ろす。地獄の淵まで蹴落とされた二人が、たった一本の蜘蛛の糸を奪い合う。デスマッチの幕開けである。ギャンブルの魔性が、大きな口を開けて私たちのことを今か今かと待っていた。 まずは私が相手から引く番である。ここでエースを引ければ問答無用で勝ちである。しかし、いかんせんヒントがない。取るそぶりをして相手の顔を観察してみる。が、眉一つ動かさない。もうどうにでもなれ。左のカードを取るとそこには、半笑いのピエロがいた。ちくしょう。俺は何が好きでカードのキャラクターにまで嘲笑われなきゃいけないんだ。と心から嘆いた。まさに負け犬の遠吠えである。 次は相手の手番だ。さっきとは一転攻勢、今度は相手の手のひらで踊らされることになる。2分の1を引かれたが最後、ご飯係が確定する。祈る。ただただ祈る。たのむからこのアホ面のおっさんを取っていってくれ…!と願った次の瞬間、もう私の手札にはおっさんはいなかった。助かった。まだ生きてる。安全という喜びが私の中を駆け巡った。 それも束の間、ここからが正念場である。すると私の目は自然に取られたジョーカーを追っていた。左の方に入り、2枚が交互に入れ替わっていく。1回、2回、3回、4回、5回。確かに5回入れ替わった。奇数回なのでジョーカーは現在右の位置にいる。ということは、エースは間違いなく左にいる。気が変わったらまずい。左のカードを素早く取った。私はエースという名の蜘蛛の糸をつかみ取り、地獄からの生還を果たした。勝利への喜びを静かに噛み締めた。…だが、そんな快楽に浸る自分をふと客観視してみる。するとどうだろう。 遊びだというのにムキになった挙句、しまいには相手のジョーカーを目で追い、残った方を何も気づいてないかのように奪い取る。米を研ぐのだって他の誰かにやらせればいい。自分はやりたくないから。だから多少汚い手を使うのは惜しまない。俺は悪くない。見える所でジョーカーを混ぜるのが悪い。相手が悪いんだ。 …確かにルールは守っている。だけどこれって、言ってることは詐欺師と変わりないのでは?結局私は戦場から逃げにヒュッテに来たのに、そこでもまた汚い戦法を取り相手を嵌めてまで勝ちに行っていた。これは本当に勝ちだろうか?そんな勝ちなんて、心から喜べるだろうか…? ババ抜きが終わり、昼食の準備に取り掛かる時間となった。先ほどの罪悪感が肩にのしかかって離れない。食器の準備など、私たちにできることはたくさんある。私は昼食の準備を誰よりも懸命にやった、とまではいかないができるだけのことはやったつもりだ。 ご飯が運ばれてきた。鍋を開けると、湯気とともに美味しそうな白米が現れた。白米を炊いてくれた彼は、さっきのババ抜きのことをどう思っているのだろう。もうきっと、あのピエロのおっさんのムカつく顔なんて頭の中にはないだろう。いよいよご飯の準備が終わり、いつもよりも若干丁寧に「いただきます」を言った。あの時食べた白米の味は、いつもより甘かったような気がした。

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