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いじめからの逃走と闘争への道標

いじめ問題への提起



最近、なんだかいじめ問題の作品に色々触れることが多くなってきた。
多分、自分の人生の中に人生はかなりの運ゲーという要素が大きいからという前提がリベラルアーツによって養われてきたからだと思う。

それらの作品を列挙していきます。

作品の列挙

  • 少年の君

  • かがみの孤城

  • Linkin Park : meteora

  • いじめの構造

圧倒的カメラワークで、臨場感が凄まじく、その場で痛めつけられることがどれほど閉鎖的で苦しいことなのか体験できる。役者の演技力も素晴らしく、いじめられる側の避干渉の体現の仕方が、あまりにもリアル。


いじめれらる時の起きた、感情の全てを言語したような作品。擬音やオノマトペを利用して、こころの鼓動を、全て実況解説したような作品。


ヴォーカルのChesterの、いじめや虐待等のダークサイドのエネルギー源が作品に投影されている一作。歌詞はほとんどが逃避的であり、苦しい時に彼のシャウトのみが自分の心を守ってくれる気がする。


いじめの構造化を、社会的な部分から考察。
下流で起きた、いじめの源泉である上流源泉部分は、どのようにシステム変更できるか示唆まではしてくれる。
どちらかというと、人間のどのような性質から、こういった酷い仕打ちが起きるのか解説する、身体性に沿った現象を社会学的に考察する。


いじめという井戸から抜け出すには、言葉というロープによる解決策に全てをかけろ。


いじめの根源は、生物の社会的な根源的な社会性からの排除を、嫌う現象である。

言葉がうまく操れない人間には、加害者にも被害者にもなりうる、当事者なんだ。言語がうまく使えないものに、つきまとう病とさえ言える。

しかしながら、現実に待ち合わせているのは、言語を持ち合わせていないが故にどうしようもない途方に暮れるひたすら厳しい現実。

どうしようもなくただ過ぎる、日々を生き延びるしかない。

水中から空気を求めるような、溺れかけている人間のように。

精一杯で苦しいかもしれないが、溺れている状態から、普通に海岸にたどり着くには、泳ぎ方を覚えないと、そこまでは辿り着けない。

君の周りには泳ぎ方を教えてくれる人はいない。

けどもう大丈夫だ。

インターネットには言語が、ロジックで喋れる人がいっぱいいる。そのために、必要な要素が至る所に転がってる。

全てを回避して、抜け出すことだけを考えよう。

大丈夫だ。言葉というロープを使えば、必ず抜け出せれる。
その使い方を体得していこう。

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