津田沼パルコの閉店を聞いて

津田沼のパルコが閉店すると知り、「えっ」とびっくりした。
昭和52年(1977年)「津田沼デパート戦争」が起きた。
JR(当時国鉄)津田沼駅から新京成津田沼駅までの区域に様々なデパートが乱立した。
中にはオープンしても競争に勝てず、閉店していきそこへ新たなデパートがオープン…といった状況が何年か続いた。その中でも、パルコだけは、開店してからずっとあの場所で営業を継続してきた。
 それ以前の津田沼駅前は、「サンポー」という4階建てほどの小さなデパートがあるのみ。1階に不二家のケーキ屋さんがあった。
 私は、駅からバスで15分行った所にある団地に住んでいた。趣味で集めていた切手やおこづかいをためてレコードを買いに行くのは、駅前の「サンポー」だった。
 隣の船橋駅や少し離れた千葉駅には、完全に遅れをとっていた。
 それが、いきなりのデパート乱立。地元は浮足立ったし、新聞の紙面をもにぎわした記憶がある。

 当時私は中学3年生だった。仲良しの友達と二人でロッテリアにアップルパイを食べに行った。ロッテイリアは、新京成駅に向かうエスカレーター横にあった。
 マクドナルドやロッテリアといったファストフードは、東京に行かないと買えないものだと思っていたにに。津田沼駅前がいきなり華やかでおしゃれなショッピングモールになった気がした。
 それなのに、その年の夏、私たち家族は四街道に引っ越してしまった。
 当時、高校受験を控えていた私は、転校せず四街道から津田沼駅まで電車通学することになった。
 戸建てに引っ越し、個室を持ててうれしかった半面、当時の四街道は文字通り「辺鄙」だった。
家の周囲は、見渡す限り、野原や畑がひろがっていた。
おまけに四街道駅から自宅まで徒歩20分。一応バスはあったが、時刻表を見て落胆。1日の本数が一桁。「なんでこんなとこに家をかったのかなぁ。」と何度も思った。
 電車通学のためにと、腕時計を買ってもらい、定期券を持たされた。朝7時20分の快速電車に乗るため、7時には家を出なければ間に合わない。それには遅くても6時半起床。団地住まいの時は、ギリギリ8時前に起きても十分間に合ていたのに。

 そんな思い出が、パルコ閉店のニュースで蘇ってきた。
 その後も、パルコには行った。子供が小さかった時最上階の映画館に「ドラえもん」を観に行き、帰りに1階のスタバで初めて「フラペチーノ」を飲んだ。「無印良品」では、調理器具や洋服を買ったり、景気づけにレストランで食事をしたことも。
 パルコに行くときは、懐かしさがいつもあったし「サンポー」のあった場所を歩道橋の上から確かめていた。
 オープンから45年。引越ししたあの日から45年。実家は人手に渡った。
 5人と一匹だった家族は3人になり、それぞれの場所で暮らしている。
 津田沼パルコ、お疲れ様!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?