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いっぽ。

映画『怪物』を観てきた。

日本橋の映画館、あの映画館やっぱり好きだなと思った。

このポスター、すごく深い。

公開日:2023年6月2日 (日本)
監督: 是枝裕和
音楽: 坂本龍一
映画脚本: 坂元 裕二

大きな湖のある郊外の町。
息子を愛するシングルマザー、
生徒思いの学校教師、そして無邪気な子供たち。
それは、よくある子供同士のケンカに見えた。
しかし、彼らの食い違う主張は次第に社会やメディアを巻き込み、
大事になっていく。
そしてある嵐の朝、子供たちは忽然と姿を消した―。

いったい「怪物」とは何か。登場人物それぞれの視線を通した「怪物」探しの果てに、私たちは何を見るのか。その結末に心揺さぶられる、圧巻のヒューマンドラマ。

映画という映像の鑑賞体験として、すごく濃密で怖い経験をしたと思う。
「やられたな。」という感情よりは、純粋に「こっわ。」と感じる体験だった。

終わったあと、映画館のロビーで、一緒に行った相手と営業終了時間まで感想やら考察やらを語り合う程には受け取ったけど、

正直、自分の力量や器が全てを受け取れている自信がない。
というか、ぜったいに全部は受け取れていないと思う。
未だに分からないこととか、解明できない違和感がたくさんある。

ただ。
自分が感じたことはいっぱいあって。

他の人が何を感じたんだろうって、考察や感想たち、あとは制作者さんたちのインタビューもけっこう漁った。

せっかく没頭して色々と深めたので、備忘録も兼ねて記録を残しておこうと思う。

帰ってきてから衝動的に書いたノート。

〜 メモ: 感じたこと・考えたこと たち 〜

※ 私が紡いだ言葉だけでなく、他の方の言語化で良いなと思ったものも含みます。

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客観的事実なんてない。
あるのは、私にとっての真実だけ。
└ 私が事実だと感じたこと
 = 私が事実だと思いたかったこと
 = 私が見たいと思う世界
└ 固定観念・先入観
└ 指標や物差しで計る
└ 悪い部分を見ないようにする

→ 自分を守る・何かを守る
→ そのために、何かを傷つける
→ 人間の弱い部分

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歪み ー 不寛容
└ 理解が及ばない / 分かりたくない → 嘘
 └ 感情移入のしやすさ
└ 言葉で区分している
 └ ラベリングできる言葉の外 = 理解できない
  └ ドロドロ・正体不明
  └ 理屈じゃ説明できない
 └ 口癖
 └ 違和感
└ 強迫観念 ー 呪いの言葉

→ 名付けられないから、怪物だと思ってしまう
└ 自分の理解を超える得体の知れないもの
└ 分からないから怪物
 └ 裏を返せば、怪物は誰一人としていない
  └ 残されたのは、ただの名前が与えられた一個人に過ぎない
 └ 逆に、全員が怪物である

→ 解釈は、あくまで自分の独りよがり
└ 足りない情報を都合よく補完している
 └ 本質で、本質を掘り下げる

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最善を尽くすことが、加害性を生むことがある。
善意・励まし = 否定・抑圧
自分:独りよがり
└ 気をつけていても暴力性が伴うことがある
 └ 無自覚の加害性
 = 怪物

→ そんな自分の怪物性を知り、認め、反省し、訂正することで
  自分も他人も理解することができる
→ 人間に近づくことができる

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だれが怪物だったかなと探した挙げ句、
そんな自分が怪物だったと気づけるか?

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多面的な観察力
└ 視野の狭さ
 └ 副産物:秘密が守られる
└ 視野の広さ

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視界の個別性
→ だからこそ、頭を使い、感性を豊かに磨いていく
└ 第三者 ー 当事者
└ 対等な立場での対話

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対岸の火事
→ 無責任な言葉
 └ 当事者ではない
 → 燃料の種になる
→ 火消しの水が洪水・台風など次の災害につながる可能性がある

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白黒ハッキリさせること
└ 理屈や謝罪など、その他の儀式的な形式を通じて、
  社会的倫理観の中に明確に区分する行為

謝罪
→ 真実を覆い隠すことにもつながる

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「怪物 だーれだ ゲーム」
└ 自分の手札は自分にはわからない
 └ 他人から見える自分は、自分には見えない
└ 他人からは見えない自分

日々の生活の中で簡単に怪物を看破る方法
「怪物 だーれだ ゲーム」
└ 質問を重ねる中で、自身が持つ怪物の正体や名前を探っていく
 └ 時には自分の弱い部分を見せなくてはならない
  └ しかし、誰かから見ればそれは一つの武器
 = 対話
  └ 対等な立場での対話
 → 怪物なんていないと思える

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誰かにしか手に入らないものは幸せとは言わない。
誰でも手に入るものが幸せ。
└ 自分なりの幸せを手にしていい
└ 自分なりの気持ちを表明していい
 └ 祝福

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完璧主義者
└ 他人からどう見られているかのアンテナが敏感
└ 細かいことによく気づく

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怪物 ー 聖人

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自分を受け入れてくれる人がいるからこそ、自分自身を受け入れることができる
└ 変わらなくていい
・大好きだけど、その相手にぜんぜん理解されていない関係性
・ぜんぜん好きじゃないけど、その相手にすごく理解されている関係性
└ ジレンマ

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死にたい訳じゃない。

出来る限りの力で、
輝く未来に向けて、
一生懸命、前向きに過ごす。

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正しい ー 届かない
└すり抜ける、すり抜けて笑っている

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〜 感想・思ったこと 〜

私は、人という生物として、弱くて醜い。

自分で考えている以上に、自分は不寛容で愚かで醜い。
問題は個人にあるのではなく、人と人の間にある、人と人の間で起こる。

自分を個人として否定する意味合いではなく、
私は生物的に人として、人間社会で生きている人として、
無自覚の加害性・暴力性を生み出す可能性があると自覚的になれた。

開き直るという意味ではなく、
私自身が愚かで醜いという意味ではなく、
私は人という生物として、人間社会で生きている人として、
愚かで醜い部分があると認識することができた、分かることができた。

怪物=〇〇 と一言で定義付けられないけれど、
自分が所有している”怪物性”を認識・自覚できたことで
すごく生きやすくなった感覚がある。

それは、
良い人でいなきゃという観念や、自分はきっと良い人である、きっと優しい人であるというある種の仮説を自覚することで、
自分自身に表出する弱さやドロドロを肯定できないことによる、
苦しさや、生き辛さからの脱出・卒業だと思う。

また、結果的に、
自分自身の生物的な解像度が上がったこと、
自分が人という生物として生きていくとはこういうことかと理解できたことで、すごく救われた感覚にもなった。

それは、
理解できたこと・認識できたことで、
感情的な拒絶や嫌悪感が減り、そのノイズが外れたことで真っ直ぐ見つめられるものが増えたということだと思う。

そして、これらの最大のポイントは、
「生物的に人として・人間社会で生きている人として」という前提だ。
あくまで、個々人の存在を対象にしたものではないということが本質だ。

これから、対自分にも対他者にも、仮に怪物性を感じることがあっても
その個人を否定するのではなく、生物的な人が持っている習性として受け取れると思う。

自分自身の偶像が崩れ、等身大でいられることで、自己肯定感が上がりそうだ。

健全に考えられる世界が広がったから、
じゃあ、どうしたい!じゃあ、どうしていく?も、
健全に、すくすく、のびのびと考えられそうだ。行動できそうだ。

すごく素敵な収穫だ。

「認めることで、行動が変わる。」
今まで、このことは知って、分かっていたけど、
自分が怪物だと認めることで、行動が変わりそう…!
自分の中で、けっこう大きな体験だった、これからもっと大きな体験になりそうだなと思う。

〜 あわせて 〜

という訳で、
「よっしゃ!変わっていける!」モードのギアが上がってきたところで、もう一つ。

最近、けっこう刺さってる曲がある。

Start over!
歌詞:秋元康
作曲:ナスカ
編曲:mellow
歌:櫻坂46

(作曲のナスカさんの作品たちが大好きという話は、今日はいったん渋々おいといて。)

なんかこの、
「”怪物性”を認めることで、行動が変わる。」
という話のなかで、なんかはっきり言語化できないけれど
リンクする感覚があるから、一緒に歌詞を置いておきたい。

君は何か夢とかあるのかい? いつかやりたいなって思うこと
だって生きてく理由はあるだろ? 明日はこうしたいなんて願望が…
だから眠るんだ 人は皆 嫌なこと忘れるため
今日という日を乗り越えちまえば どうにかなると言い聞かせて…

こんな夜遅く コンビニのレンジで
弁当温め どんな奇跡待ってるの?
君はきっと分かってるだろ? いつの間にか諦めてること
だけど 気づかないふりをして…

Start over! Start over!
もう一度だけ やり直そうなんて思うなら
今しかない 後にはない
逃げてる今の自分 目を覚ませ!

ガラス窓に映った現実に
心は背中向けたくなるけど
自動ドアを出た瞬間 別人にもなれる
大事なのは どこからやり直すか?
そりゃ諦めかけた数秒前


それじゃ僕は一体何なんだ? 誰かのこととやかく言えるのか?
知らず知らず 自分は安全地帯で 評論家みたいに上から目線
どこをどうすれば ぬるま湯の環境を抜け出せる?
どうせだったら失敗したって 当事者でありたいのに…

防犯カメラに守られることより
誰も見ていない自由が欲しいだけ
何を犠牲にできるんだろう 代償なしは虫がいいね
だから 他人の目気にすんな

Make it zero! Make it zero!
今日までずっと持ってたものなんてどうでもいい
見栄張るな カッコつけるな
冷めたら二束三文のプライド

風に吹かれ メッキが剥がれても
あそこのあいつほどは馬鹿じゃない
僕の方が少しはマシだって言い張って
君に向かって 全否定してやりたい
結局 同じ穴の狢


“今さら”はダメかい? 遅すぎるのかい?
やり直せるなら 何だってできるだろう?
君は僕の過去みたいだな 僕は君の未来になるよ
どうせ自己嫌悪の塊

Start over! Start over!
もう一度だけ やり直そうなんて思うなら
今しかない 後にはない
逃げてる今の自分 目を覚ませ!

ガラス窓に映った現実に
心は背中向けたくなるけど
自動ドアを出た瞬間 別人にもなれる
大事なのは どこからやり直すか?
そりゃ諦めかけた数秒前

▼ 特に私のアンテナがビビッとくる部分

ガラス窓に映った現実に
心は背中向けたくなるけど
自動ドアを出た瞬間 別人にもなれる

どこをどうすれば ぬるま湯の環境を抜け出せる?

Make it zero! Make it zero!
今日までずっと持ってたものなんてどうでもいい
見栄張るな カッコつけるな
冷めたら二束三文のプライド

“今さら”はダメかい? 遅すぎるのかい?
やり直せるなら 何だってできるだろう?
君は僕の過去みたいだな 僕は君の未来になるよ
どうせ自己嫌悪の塊

Start over! Start over!
もう一度だけ やり直そうなんて思うなら
今しかない 後にはない
逃げてる今の自分 目を覚ませ!

「Start over」は、「reset」ではない。

振り出しに戻ってやり直す、初期化というより、
これからの道で、足枷になるものは破壊しながら進んでいく。

破壊して、反抗するだけでは終わらない、
そこから未来を作っていく、そんな決意表明。

変わらないなら壊してみせる、
そして理想に向かってやり直す。

「Start over」は、「Start again」ではない。

破壊という名の、やり直しとは違う再びの創造。

後戻りではない、はじめからもう一度始める行為。

そういうことを感じた、この曲。

人は弱さを知って強くなる、というメッセージが
「”怪物性”を認めることで、行動が変わる。」
とすごく紐づいた。

おわりに

書き始めたときはただの備忘録のはずだったのに
気がついたら何だかすごく長くなってっしまった。笑

でも、今の私はすごく気持ちが軽くて、
踏み出す歩幅も大きくなっている気がする。

よし、良い感じ。

このまま、のびのびやってみよう!

はーじめの、いーっぽっ!

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