そこで座っていても未来は変わらないよ。
最近、コレサワという大阪のシンガーソングライターにハマっている。
ポップなメロディとそのキュートな歌声に惹かれるように歌詞を眺めてみると、等身大の女の子のそのままの気持ちが反映されているものばかりで、失恋ソングも、応援ソングも、今の私にはダイレクトに響いて伝わってくる。
そんな中でも特に好きなのが、【笑えよ乙女】という、最近の私にはまさにぴったりの楽曲で、ほぼ毎日、多いときは1日にもうなんども繰り返して聞いているくらい、だ。
命はとても短い。
だから
笑えよ乙女。
この歌には、このフレーズが、何度も何度も繰り返し出てくる。
そう、命は短い。
そして、いつの日か必ず終わる。
そんな短くて儚い人生に、あれこれと悩んでいる時間なんて、勿体無くてしょうがないじゃないか。
チャンスは掴むものであると、私たちはもう何回教えられてきたのだろう。
昔、尊敬していた先輩に言われた言葉がある。
チャンスがない人間なんていない。
大切なのは、それを掴めるだけの余裕とスピードが、その時の自分にあるかどうかだ、と。
この先輩の言葉は、きっとものすごく正しいのだと思う。
それなのに、私たちは何度も、もう何度も、そのチャンスを掴みかけては離して、チャンスがすぐ目の前にやってきても拒んでしまったりして、そうやってあれやこれやと考えた末に、「自分には無理だ」と、なんとも簡単に諦めてしまったりするのだから、難しいな、と思う。
そういえば最近誰かに、「君はものすごく、タイミングというものを無視してしまう場面があるよね」と言われた。
どうやら私が素直に思ったことを言いすぎるから、それこそ駆け引きなんかがなくて、こと恋愛に至っては面白みに欠けるそうだ。
確かに、好きな人には好きだと伝えてしまうし、欲しいものは欲しいと、二人きりだとちゃんと言えてしまう気がするから、私の恋愛はいつだって直球でどストレートだ。
それを受け止められない人からしたら、「え?このタイミングで?」というふうになるかもしれないけれど、チャンスを掴むという意味で言えば、先手必勝に勝るものはないのでは?とも思ってしまう。
そこで座っていても
未来は変わらないよ
この曲の中で、一番好きな歌詞はここだ。
この歌詞を聞くたびに、思わず頷いてしまうそれは、わたしの心をぎゅっと締め付けるのだった。
変わらない。なにも。
ここで座ってばかりいても。
時は過ぎてくれる。時間は経過してくれる。
そういう自然と流れる時の早さは、わたしたちに、とても優しく寄り添ってくれる。
でも、それじゃダメなの。
それが必要な時もあるけれど、
それが必要じゃない時もある。
自分の力でえいやって踏み出せることがどれだけ大切なのか、知るべき時もあるよなぁと。
痛みや辛さを伴っても、ちゃんと知るべき時も人生には必要で。その痛みがあるから、人に優しくできるのだし、その辛さがあるから、救える誰かだっているのだと思う。
だからって無理に、痛い思いをしなくてもいいんだけど。それでも、えいやって踏み出す時のぴりっと痛むあの感覚は、成長痛みたいなものだと思えばいいのではないかな、と思う。
そこで座っていても
あなたの未来は一ミリも変わらない
それなら、多少痛くても、えいやって踏み出せることの方がずっと大切だと、そう思うのです。
あなたがくれたこのサポートで、今日もわたしはこのなんの意味もないかもしれないような文章を、のんびり、きままに書けるのだと思います。ありがとう。