「美味しいね。」が、誰かの心をホッとさせる。
大好きな人たちとご飯を食べることがすき。
そう気づいたのは、間違いなく、シェアハウス で暮らすようになってからだと思う。
並んだご飯たち、少し多めの器に盛られた美味しそうな具材を、みんなで少しずつ分け合って食べる。
「美味しいね。」「あ、ちょっとそのお醤油とって。」
みんな、来た場所も、年齢も、育った環境も、やってきた経験も違う。全然違う、のに、それでもいっしょに、ご飯を食べる。
その光景が、たまにどうしようもなく幸せでたまらなくて、こうやってみんなと一緒にいられる今を、後どのくらい重ねていけるのだろうと考えると、少しだけ切なくなってしまったりもする。
美味しいご飯と楽しい時間は、自分を救ってくれるんだよ。
ゴールデンウィークの期間中だけ働いていたカフェで仲良くなったおばあちゃんが、こんなことを言っていた。
誰かといっしょに過ごして、美味しいご飯を食べる。いつもはてんでバラバラなことをしている人たちが、ご飯の時は一緒のテーブルに座って、みんなで同じものをつつきあって、あーでもない、こーでもないと、たわいのない話をするあの時間がね、人を幸せにするのだよ。
と。
私はその時、人じゃなく、幸せになれてるのは自分だな、と感じることができて、その話を聞いて更に、ご飯の時間が好きになった。
誰かと喧嘩している時も、どんなに悲しい気持ちになっている時も、美味しいご飯はやっぱり美味しくて、そこに、いっしょに過ごしてくれる仲間がいることを、本当に幸せに思う。
自分の幸せメーターが100だとして、何も考えずにいっしょに誰かと笑えている時間は、メーター100に相当近付いているなぁ、と感じるし、こういう時間を、これからも無くしたくないな、と思う。
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もし将来、結婚して、大好きな人と2人で暮らせるようになったら。
どんなに忙しくても、どんなに大変でも。
2人でご飯を囲む時間だけは、絶対に欠かさず持っていたいな、と思う。
「これ美味しいね。」で始まる会話は、どんな時も私をずっと元気にしてくれる。
大切な人とは、いっしょにご飯を食べたい。
そして、くだらない話でたくさん笑いたい。
そこに添えられる幸せな時間のためなら、多少のめんどくささを超えて、料理も頑張れるかな、なんてことを思いながら。
あなたがくれたこのサポートで、今日もわたしはこのなんの意味もないかもしれないような文章を、のんびり、きままに書けるのだと思います。ありがとう。