ふらっと春の優しさに救われる今日。
春が好きだ。本当に。
どんなに気分が落ち込んでいても、春の陽気な天気にぽかぽか包まれていると、自然と気分が高揚してくるのを感じる。
桜はだんだんと散っていくけれど、それさえもこんなに綺麗で、清々しい気分にさせてくれるのは、間違いなく、今の私が、心にちょっとの余裕を持てている証拠だな、と思う。
怒涛の3月が、終わった。
「笑ったり、怒ったり、泣いたり、そういう感情の起伏ってやはりすごく大切で、だけどその分ものすっごくエネルギーを使うんだな」
そんなことをまるっと学んで、
怒涛の3月が終わった。
私は人の何倍も人が好きだと思っていたし、誰かと一緒にいることで自分を保つ人間だと思っていたのだけど、本当はそうじゃないかもしれないと疑うくらいに、ひとりになりたかったり、誰といてもうまく笑えない日があったり。
本当に、辛かった。フリーランスになって1年経つけど、こんなに不甲斐ない自分と向き合ったのは社会人時代ぶりで、やっぱり自分はまだまだなのだと、思い知らされた1ヶ月だった。
そんな中でも、見捨てずにそばにいてくれる人や、うなだれた腕を、ぐいっと引っ張りあげてくれる人たちのおかげでなんとか、なんとか、わたしもこうやって、暖かくやってくる4月を迎えることができたのだと思う。
本当に、ありがとう。
自分を好きな「自分」と、常に一緒にいたい
3月を振り返って思うのは、自分を好きだと言える「自分」と、常に一緒に成長していきたいということだ。
「今の自分が好きですか?」と問われた時、速攻で「イエス」がでなければ、それは、今の自分に対して不満があるということなのだと思う。
その不満を糧に人は成長していく生き物なのかもしれないけれど、それで人に優しくできなかったり、誰かに当たってしまうのは、やっぱり違うな、と思うわけで。
私は、自分を好きなままの自分でいたい。
そうやって、誰かに優しくしたり、誰かの愛情をちゃんと受け入れるだけの器をもって成長していきたい。
そのことを、本当に強く、実感した。
だから、もう自分で自分を嫌いになるようなことはしたくないし、しないって、そう思う。
好きな自分のままで、好きな人たちと成長できる方法を見つける。
フリーランスになった最初の理由だって、本当はそんな、些細なことからだったように思う。
4月になって、まず最初に立てた目標に、「無理をしない」ことがある。
これは、わたしの「好きな自分」のままでいられる一番大切な方法だ。
休みたいな、と思う時はなるべく休む。
好きなひとといたいな、と思う時はなるべく一緒にいる。
一人になりたいな、と思う時は、一人になって内省する。
好きな自分って結局は、そんな選択もできるくらいに自分に余裕がある自分だと思うから。
だから、余白を作る。
好きな自分のままでいる。
それが本当に大切なのだ。
他の人にどう思われても。私は休みたい。今は、誰よりもゆっくり、春の陽気に浮かぶようにぷかぷか、あたたかなひだまりの中に寝転がっていたいのだ。
そうして、ありったけのエネルギーを内でつくったあとに、余ったぶんを外に出すことで、自分に余裕のある状態のまま、人にもちゃんと優しくすることができる。
今、この内なるエネルギーが限りなく0に近いから。
ちゃんと1ヶ月かけて、戻してあげたいと思うのだ。
ゆっくり、ゆっくり、少しずつ。
大好きなあの子や、大切なあの人の力も借りてしまうかもしれないけれど。
どうかその時は、たすけてね。
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どうかこの一瞬が永遠に続いてくれるようにと願うけれど、きっともう直ぐ、桜は散ってしまうのだろう。
だけど私は、今年の春をまだもう少し、引きずったまま、まだもう少し、余韻に浸って、次の季節を迎えたい。
春の陽気の終わりくらい、自分で決めたっていいでしょう。
そんなことを思いながら、今、このnoteを書いている。
あなたがくれたこのサポートで、今日もわたしはこのなんの意味もないかもしれないような文章を、のんびり、きままに書けるのだと思います。ありがとう。