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「だけれど。」人はひとりで生きていくほうがきっとずっと自由で楽チン。

どうも。ただいま、タイ・チェンマイに旅行中のいちです。

(滞在4日目にして、もう「チェンマイ 移住」とかで調べてるくらいには、チェンマイの雰囲気と現地の人の人柄が大好きだったりします。)

突然の告白ですが、実は私、今年になって海外にいくのは人生で2回目。

そう、26年間、海外って一度も行ったことがなかったんです。しかも、行ったことがあるのは8月の最初に、クリスチャン関係の合宿で行った韓国だけで、ひとりで、本当に一人っきりで、知らない国に行こうと思ったのは、このチェンマイが初めてだったりします。

その、もはや初めてという海外に来て、気付いたことがいくつかあるんですよね。

・海外はこれまでの経験や知識はほぼ使えない。つまりリスタート

・人生やり直した感がある

・現地語は話せなくても、ジェスチャーと心で人は通じ合える

・環境が違っても、同じ人間

・自分のことを誰も何も知らないって、めちゃくちゃ楽。

特に強調したいのが、最後の部分。

そう。「自分のことを誰も何も知らないって、めちゃくちゃ楽。」なんです。本当に。

これまでの自分って何だったんだろう。

例えば、私はタイではほぼスッピンです。朝起きて、顔を洗って、UVカットの日焼け止めに帽子をかぶって外に出る。

控えめに言って、めちゃくちゃ楽です。

日本でも毎日これだったらいいのに、って思って、ハッとしました。

「そっか。日本の毎日化粧をしなきゃいけない習慣は、私が日本で生まれ育ったから持ってる価値観なのか。」

現に、今チェンマイにいて、化粧をしてなくて困ったことはほとんどありません。(かわいい洋服を選ぶときに、顔うっす!ってなるくらい)

誰も私を知らないから、誰からの評価も気にすることない。こんなどスッピンな私でも、「可愛いね!」「美しいね!」って声をかけてくれるおじさま達もいる。(客寄せかもしれないけど。笑)

だから「何だ。いいんだ。」って自由でいられる。

自由って何って素晴らしいんだろうって思う。

よく海外に行った人が「価値観変わった!」って言うじゃないですか。あれ、まさにこれだな、と。

価値観が変わったというより、正しくは「これまでの自分の価値観や考え方なんて、通用しないんだな」って気付いて、楽になる感覚です。

だから今、チェンマイで生きててすごく楽しいです。自分が自分らしくいていいんだってなんて気持ちいいんだろうって。

誰のことも気にしなくていいや、と思って気付いたこと

同時に、「誰のことも気にしなくていい」という自由さを手に入れて気付いたことがあります。それは、結局人間、一人で、自由で、好きに生きていける人生の方が楽だってこと。

誰かと知り合えば、その人の前で振る舞う自分像ができて。

誰かと付き合えば、その人と向き合っていかなければいけない大変さができて。

家族や子供ができれば、その人達を守っていかなければいけない義務感ができる。

所詮それも価値観や思い込みからできてるんじゃない?と言われるとそうなのかもしれないけれど。自由にチェンマイに来て、のんびり、誰のことも考えずに、自分のためだけに時間とお金を使える今の私の環境からすれば、きっと誰かと知り合ったり、誰かと付き合ったり、誰かと一緒に生きていく人生の方が、ずっと大変なのかもしれないと思ったり。

でもさ、もう一つ、もう一つだけ思ったのは。

一人の方が楽に決まってるけど、一人で見た景色を共有できる相手がいる幸せを知らないことの方が、ずっと不幸かもしれないな、と。

だってさ。もし誰も知らない世界で、私一人だけで生きてたら。

私が一人では絶対に行かないような、知らない角へどんどん進んで行った先にある、本当はめちゃくちゃ綺麗な景色を知ることはできないかもしれないでしょ。

もし誰も知らない世界で私一人だけで生きてたら。

素敵なチェンマイの雑貨達を「この人にあげたら喜ぶかもしれないな」なんて想像してニヤつくこともできないわけでしょ。

それってさ、めっちゃさみしいよね。きっと。

誰も私を知らない自由さの先に見る景色よりも

誰かと綺麗だなぁと共有できる景色の素晴らしさの方が

圧倒的に素敵だな、と思ったりしたんですよ。うん。

つまりは、何が言いたいかというとね。

もし人間関係や、今の環境に疲れたら、一旦日本を脱出した方が良いということです。

それも、今の自分の考えや価値観が全く通用しないところ。(タイ語はまじで読めませんからねw)

そこにいくとね、こんな感じで、いろんなことを発見できるはずだから。そして、誰かと一緒に見る景色が恋しいな、と思った頃に、日本に帰って来ればいいんです。

それが感じられないうちは、満員電車に疲弊して毎日会社に出社する必要なんてないし、誰かに後ろ指さされながら、生きていかなくてもいいんだよってことを。

なんだか、過去の自分にも、今の自分にも。そして、未来の自分にも。

伝えたいな、と思って、綴った文章でした。









あなたがくれたこのサポートで、今日もわたしはこのなんの意味もないかもしれないような文章を、のんびり、きままに書けるのだと思います。ありがとう。