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「話してくれてありがとう」から始まるあたたかい世界を知ってください。


大切な人を傷付けたくありません

という声を時々ご相談で頂きます。

そういう人は、本当に素敵だし素晴らしいな、と、その相談を受けるたびに思うのです。

誰かを傷つけたくない、というのは、過去に自分が実際に傷つけられた経験があったり、その痛みや辛さを連想して、同じ思いを味わって欲しくないという、最大限の優しさの表れだと思うから。

だけど、同時に思います。

誰かに傷ついてほしくないという気持ちと、実際に誰かを傷付けてしまうことはイコールではない。

ということに。

例えば、今あなたに好きな人がいるとします。
片思いのまま時間が過ぎて、もうこのままじゃきっと叶わないなぁと諦めかけたタイミングで、違う誰かから告白されたとしましょう。

その時、「好きな人がいるから」と断るのが優しさでしょうか?

それとも、「実は気になっている人がいて、うまくいっていないんだ」と正直に打ち明けることが優しさでしょうか?

私は、前者は優しさで、後者は誠実さだと思っています。

誰かに傷ついてほしくない、と、可能性ごと否定してあげるのが優しさ。
だけど、この場合、あなたに彼氏がいるわけじゃないのに自分を見てくれない(可能性が1ミリもない)というのは、相手からすれば傷付く行為かもしれません。

実は気になっている人が別にいる、と正直に打ち明けるのが誠実さ。こちらも傷付けてしまう恐れはありますが、前者よりも理由がハッキリしていて明確で、その先をどうするのかは相手と話し合う猶予があります。

私なら、自分が告白した時、後者でいて欲しいなと思うのですよね。

だって、優しさって結局のところ、ただの自己満足です。

このパターンに限らず、
・かわいそうだから別れられない
・ハッキリ言ってあげたいけど言ってあげられない

それによって、本当に相手は救われるんですかね?
本当に、あぁこれでよかったなと双方が納得できて終わるのでしょうか。

覚悟のない優しさは、逆に相手を一番傷つける

優しさにも、誠実さにも、必要なのは、覚悟。例えばその人に嫌われてしまったとしても、呆れられたとしても、もう一生一緒にいられないとしても。

覚悟を持って接する言葉には、それだけの重みがあり、思いがあります。
それは、ただやみくもに優しくするだけの優しさなんかよりも、相手を強くさせたり成長するためのキッカケになったりするのです

逆に、覚悟のない優しさでだらだらと付き合ってくれても、相手はその優しさに包まれているうちは、その殻から出られません。

ベタベタに甘やかされているうちは、いつまでも独立できないです。

本当に大切な人が、肝心な時に自分なしで生きていけないとなったら、それはそれで、とっても苦しいんじゃないかなと思います。
だってあなたが望むのは、自分がいなくなった後も大切な人が笑って迎えてくれる未来ではないですか?

そうでないとしたら、その気持ちは愛情ではなく、ただの執着なのかもしれないけれど。

全部しようとかは無理。だからひとつひとつ、壁を乗り越えていく。

このノートを読んだからと言って、じゃあ明日からなんでも話せる自分になって欲しいとか、相手に誠実であれるように責任を持って欲しいとか、そんなことは言いません。
そんなの、だって無理だから。
一度にたくさんのことは人間誰だってできません。

だけどね、相手を傷付けたくないという一心で、あなたが人に本音を話せないのだとしたら、「言ってくれてありがとう」から始まる、優しい世界を知ってください。

誠実な言葉は重みがあります。
そこに責任があるならなおさらです。

相手が傷付くかどうかは、あなたの言い方や振る舞い方で変わります。言葉の選び方でも変わります。態度でも、絶対に変わります。

相手を傷付けたくない、と強く思うなら、その術をどうか身につけてください。相手を傷つけないための言葉を習得してください。
そんなことで誰も傷付けない世界がつくれるなら、きっと安い投資だと思うのです。

優しいあなたはこれを見て、あぁ自分のことかもしれないとか、責められているような気持ちになっているのかもしれないけど、
貴方の本音を話せるのは、他でもない貴方だけです。

そして、その本音を話す相手は、貴方を信じて、大好きでいてくれる人たちにしてください。どうか、間違えないように。

その人たちに
正直に打ち明けてくれてありがとう
と感謝されたら、貴方のミッションは成功です。

もう一度言います。

話してくれてありがとうから始まる、あたたかい世界を知ってください。

私は誰かに、本音を打ち明けてもらえたら嬉しいです。とびきりに抱きしめてあげたくなるし、話してくれてありがとうと優しい気持ちになれます。

逆に、自分を傷つけようと思っていなくても、傷付いてしまう言葉があります。
それは、そこに責任が無いのだなと感じさせられる、うわべばかりの言葉たちです。
そんな言葉を投げられると、自分もこの人に対しては適当でいいのかなと感じるのです。

人は、やってもらった分は一生懸命誰かに返したくなる生き物なのです。例えそれが、違う誰かだったとしても。

人生を長い目で見て、今一番必要なことを見極めたい。そんな分岐点に立っている今だからこそ言える、すべての、優しい貴方に送る言葉です。



あなたがくれたこのサポートで、今日もわたしはこのなんの意味もないかもしれないような文章を、のんびり、きままに書けるのだと思います。ありがとう。