金谷という場所は、家っていうよりアジトって感じ。
誰かが言ってた。
金谷は、止まり木のような場所である。
帰ってきたくなったら、いつでも、羽を休めて飛び立つ準備をすればいい。と。
それを聞いて思った。
飛び立つ準備ができたら、離れればいいの?って。
金谷にきて、もうすぐ4ヶ月が経つ。
久しぶりにお休みをもらったので、今は大阪、来週にはしばらくぶりに、実家である鳥取に帰ろうと思っている。
金谷に来た理由とか、いまやっている仕事とか、そういうの含めて全部、幸せだなって思う。
だって去年までの私は、少なくとも1年後、千葉の山奥に、まるもっていう素敵なコミュニティがあることも、大好きなシェアメイトと、笑って食べるご飯がこんなに美味しいことも、知らなかったはずだから。
でも、みんなとの生活が楽しければ楽しいほど、思う。
あれ、わたし、このままでいいんだっけ?って。
旅がしたい、と関西を出た。
エステをしたい、と会社を辞めた。
なんとなく、流れ流れて辿り着いたこの場所は、居心地がいい。気持ちいい。
だけど、ぷかぷか浮き輪のようなものにしがみついて、少しの波を受け止めているだけじゃ、多分いつまでも、ひとりで泳げるようにはならないのだ。
泳げることがゴールじゃない。
そんなことはわかっている。
だけど、前に進もうと思う時、多少もがいたり、溺れたり、そういう経験だって絶対に必要なのだ。
少し、競争したほうがいいかもね。
昨日、泊まらせてもらっている友人宅のお母さんとそんな話をした。
今の生活は温かくて、楽しい。
だけど、人はやはり「競争」したり「戦ったり」することで、発揮できる力も絶対にあるのだ。
火事場の馬鹿力みたいに、切羽詰まった時にしか発揮されない能力とか、開花されない細胞とか、きっと、まだまだあるのだ。
それは、金谷っていう場所でずっとパソコンをカタカタつついていても、得られないことだと思う。
みんなに両肩、両腕を掴んでもらって、支えられているうちは、わからないことだと思う。
本当は何がしたいの?
幾度となく聞かれる質問に、いつも迷っていたのは、わたしはただ、この生活を守ることに必死で、今の自分が本当に何がしたかったのかなんて、正直どうでもよくなってきていたからだったということに、最近ようやく気付いた。
でもそれは、守るものや帰りたい場所ができたという喜びでもある。
だからこそ、感謝して進むのだ。
本当にやりたかったこと。
これからやりたいとおもっていること。
その、すべて。
なんとなくだけど、このまま人生終わりたくはないなぁと思う。もっとやりたかったことや、会いたかった人や、信じたい人や、信じてほしい人が、だって私にはまだまだ沢山いるからだ。
家っていうより、アジトやね。
誰かがそう言っていた言葉が、私にはしっくりくる。そう、アジト。
隠れ家みたいな、私の居場所。
いつか私も、この場所で、
「いってらっしゃい!」
「いってきます!」
と、誰かと言葉を交わしたい。
そして、たくさんの写真を撮ってもらおう。
新しい門出に。
あなたがくれたこのサポートで、今日もわたしはこのなんの意味もないかもしれないような文章を、のんびり、きままに書けるのだと思います。ありがとう。