ラジオのはなし

ゲームは日曜日だけというのが我が家のルールだ。それ以外にやってるのが分かったら父親が窓から投げ捨てていた。あるいは手の届かない何処かに隠されて、日曜日まで手にすることもなかった。

かといって、日曜日は母方祖父母の家で薪割りと薪運びをして、畑仕事を手伝って、鶏に餌をやっていた。朝九時から始めて終わるのは午後の三時。
ゲームがしたい盛りの私には苦痛だった。

今日もゲームは出来ない、かといってゲームがしたいと暴れれば、家を出ていけと追い出される未来しかない。仕方ない、と半ば諦めながら帰りの車に乗りながら。流てくるラジオの音に耳を集中させる。

夜中に目が覚めて。当時川の字で寝ていた私は、母にくっついて眠ろうとしたが、腕で払われた。じゃあ父にくっつこうとして近づくとバシン、と叩かれた。どちらも無理なのだと思い、布団の中でじっとしていると、ラジオの深夜放送が聞こえる。


大人になって、ラジオから聞こえる音が楽しいと思えるようになった。
個々に個性があり、メールの内容に返す反応も違う。際どいシモネタも沢山あるけど、安心感のほうが勝っている。

でも、この間ラジオは音をどんなに大きくしても言葉を発さなくなった。


安心を貰うだけでは関係は成り立たない。
感謝を伝えるため、私は電池を買いに歩みを向けた。

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