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生きていくことの大変さ。

このnoteもしかしたらすぐ消すかもしれないんだけど、とにかくここ数日は気持ちを吐き出さないと何も手につかなくなるので書いていこうと思ってます。

最愛の祖母が、今病院で1日でも長く生きるために戦ってる。

それはとても急な連絡で、どこに感情をもっていけばいいのかわからない。

これまで祖父母がなくなった時は、毎回急で。電話した数時間後だったり、会って数週間後だったり、「あんなに元気だったのに」と信じられないことが続いた。

でも今回は少し違う。
祖母はまだ生きてる。

生きているけど、でももう難しいと言われたのは生まれて初めてで。祖母は海外にいるから今すぐできることもなければ、気をそらすのも違うし、感情がぐちゃぐちゃになってしまう。

そんな日々が3日続いてる。

起きたら、「私は今日も生きるのか」って思い、
夜になったら、「はあ今日も生きた」って思う。

今まで自分が毎日を生きてることをここまで意識したことはなかったけど、きっと遠くでいま体力つかって戦っている祖母がそうやって1日1日を生きているからだと思う。

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正直な話、こんなにも毎回大好きなひととお別れをしなきゃいけないぐらいならもう生きるのしんどすぎるなとも思った。大切な人が増えれば増えるほど、向き合わないといけない現実も増えるから。

でもそれが人生なんだよなーって。

別のことをしててもふと悲しさがよぎって心臓のあたりが苦しくなる。キューって握りつぶされる感覚。あ、胸が苦しいってこういうことか、って思いながら。

私が初めて身近な人を亡くしたのは小学生のころ、ひいおばあちゃんのとき。当時はすぐには知らせてもらえず、数年後に自分で気づいてしまって大泣きしたのを覚えてる。それ以来、人がいなくなるのが怖くて、特に祖父母は毎回会うのが最後になるかもしれないと思って生きてきた。

だから心の準備はしてきたつもりなのに、一切それが意味をなしてない。

それと、昔からどこにお参り行っても「おじいちゃんとおばあちゃんが長生きしますように。」って一番に言い続けてきたんだから、それぐらいは考慮してよって思ってる。

神様よ、私それ以外お願いしたことそんなにないでしょ…。受験とか、仕事運とか、運命の人とか、そんなのもたまには言ってきたけどおじいちゃんおばあちゃんの長生きは言わなかったことないでしょーよ。

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ひいおばあちゃんがなくなったと知った時、小学生ながらに衝撃を受けたことばがある。

「あなたが無駄にした1日は、
亡くなった人が一生懸命生きたかった1日である。」

どこで聞いたのかも覚えてないし、元の文章とは違うんだろうけど私の中ではずっとこの言葉が残ってる。

祖母が一生懸命生きようとしてる。

今日も生きた。
生きてるだけで尊いな。



サポートすっごく嬉しいです、元気出ます(´;ω;`)ありがとうございます!