あなたこそレースシムお嬢様である
レースシムお嬢様とは何か
皆様ごきげんよう。
レースシムお嬢様こと、常陸大友貞婦氏須帝難四家院鈴子(ひたちおおともていふしすていむずしけいんすずこ)でございます。
今回は、つい今しがたも用いました『レースシムお嬢様』ということばについてのわたくしの考えを皆様にお話しようかと思います。
少々長い話になってしまうかと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。
それではさっそく始めましょう。
まず、レースシムお嬢様とは何なのでしょう?
わたくしの考えでは、レースシムお嬢様とはあなたです。
そう。
ちょうど今、わたくしの話を聞いてくださっている、あなた。
……おや、なんだかいまひとつ腑に落ちていないご様子。
では、この考えについて詳しくご説明いたしますね。
レースシムお嬢様≒わたくし
最初に皆様に強く申し上げておきたいのは、『レースシムお嬢様』とは、
わたくし常陸大友貞婦氏須帝難四家院鈴子のみを指す固有名詞ではない、ということです。
わたくしが『レースシムお嬢様』の名でTwitter(現X)をしているため、これをわたくしの名前だとお考えの方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、それは誤りです。
レースシムお嬢様とは、例えば東京都にお住まいの方を東京都民と呼ぶように、レースシムを楽しむ方を指す一般名詞でございます。
わたくしは確かにレースシムお嬢様ですが、わたくしだけがレースシムお嬢様ということではございません。
レースシムお嬢様の定義に当てはまる方であれば、誰でもレースシムお嬢様を名乗ることができるでしょう。
皆様もお気軽にお名乗りくださいませ。
……本来であれば、わたくしがこんなことを言うのがそもそもおかしな話ではあるのですが。
レースシムお嬢様の定義
それでは、レースシムお嬢様の定義とはどういったものでしょうか?
字義どおりに捉えるならば、「レースシムをプレイするお嬢様」ということになるのでしょうが、わたくしの定義は少々異なっております。
かつてTwitterに投稿したことがあったので引用いたしましょう。
わたくしはレースシムお嬢様を「レースシムを愛する人」と定義いたします。
この定義にはプレイ経験の有無や、性別や、保有する金融資産の多寡などといった条件は含まれておりません。
レースシムを未プレイであろうと、女性でなかろうと、一文無しであろうと、問題ではありません。
たとえば、今、こうやってわたくしの話を聞いていらっしゃる方はその多くがこの「レースシムを愛する人」という定義に当てはまるかと存じます。
ゆえに、あなたもレースシムお嬢様なのです。
ああお嬢様、どうしてあなたはお嬢様なの?
さて、これであなたにも、ご自身がレースシムお嬢様であることをご納得いただけたことと存じます。
と同時に、もしかすると新たな疑問点が浮かんでいらっしゃるかもしれません。
「なぜ『お嬢様』なのか? 『レースシムを愛する人』ならば、例えば『レースシム大好き人間』などでもいいのではないか?」
それでは、次はその点についてお話いたしましょう。
皆様、『お嬢様』ということばを耳にした際にどういったイメージを想起するでしょうか?
もちろん人によって様々でしょうが、『お金持ち』という印象が思い浮かべられる代表的ものと言えるのではないでしょうか。
つまり、『レースシムお嬢様』ということばからは、一般的には『お金持ちの女性がレースシムをプレイする様子』がイメージされると考えられます。
こうしたイメージに対し、「はて?」と違和感を覚える方がいらっしゃるようです。
その方々に曰く、「お金があるなら実車のモータースポーツをすればいいのでは?」とのこと。
なるほど。一理ございますね。
確かにお金があるのなら実車をすればいい。
日々リアルになっているとはいえ、レースシムはあくまでシミュレーター、現実に寸分の狂いもなく同一化することは、決してないでしょう。
レースシムとは、現実のモータースポーツの安価で不完全な代替品にすぎない。
もしそうであるならば、彼らの主張は正しい。
……レースシムが本当に現実のモータースポーツの安価で不完全な代替品にすぎないのであれば。
レースシムを愛する、ということ
レースシムお嬢様を名乗るということは、こういった主張に異を唱えることであるとわたくしは考えております。
わたくしはその気になれば実車だってできる。しかしあえてレースシムをやっている。
なぜか?
それは、レースシムにあって、実車にはないものがあると考えているためです。
ですが、それは具体的に何か? と言われると困ってしまいます。
間口の広さ、リスクの低さ、コストの低さ……いろいろ思い浮かぶことはあるのですが、それらは本質的なことではないようにも思えます。
そうした即物的なものではなく、何かもっと抽象的な、概念のようなもの。
それをはっきりと「これ!」とお示しできないのはわたくしの不徳の致すところで、口惜しくてならないのですが、けれどわたくしはぼんやりとながらもそういったものの存在を確かに感じていて、それをいつかはっきりと表すことができるとも信じています。
レースシムをするということは、この「実車には存在しない、レースシム特有の何かがあると信じる」という意味がいくらか含まれているとわたくしは思います。
それは言い換えれば、レースシムは現実の劣化コピーなどではない、と主張をしていくことでもあります。
つまり、レースシムをレースシムそのものとして愛するということ。
だからこそわたくしは、「レースシムを愛する人は全てレースシムお嬢様」と定義するのです。
もう一度申し上げましょう。
レースシムお嬢様とはあなたです。
そう。
ちょうど今、わたくしの話を聞いてくださっている、あなた。
ごきげんよう、レースシムお嬢様。
『レースシムお嬢様』常陸大友貞婦氏須帝難四家院鈴子より、愛をこめてご挨拶を申し上げますわ。
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