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今、競馬専門紙の価値を問う ②

優秀なトラックマン・記者とは?


 今度はもう一歩踏み込んで、競馬専門紙のトラックマンや記者について考察してみることにしましょう。

 ところで、皆さんは、優秀なトラックマンや記者とは、どのような人を指すと考えますか?
 予想がよく当たる人、SNSでの発信が上手な人、メディア出演時のしゃべりがうまい人……。見る人によって、さまざまな評価があるのではないでしょうか。

 ちなみに、私が考える優秀なトラックマンや記者というのは、自らが現場を歩いて取材してきた関係者の本音を、着色することなくありのまま読者に届けられる人。勝手にそう定義づけています。 

 でもこれって、言うは易しですけど、実際の現場に身を置いていたら、誰しもが簡単にできることではない。そうも思うのですよね。

 そもそも、会社の理念や価値観が、的中至上主義を前面に押し出すものであったとすれば、トラックマンや記者がどんなに高いプロ意識を持って仕事に臨んでいたとしても、それが紙面に反映されることはほとんど期待できません。
 また、このような環境下に置かれたトラックマンや記者が、「取材はほどほどにしておいて、予想にもっと時間を割かなくちゃ!」みたいな思考に陥ってしまったとしても、全然おかしなことではありませんからね。
 
 つまり、まずは会社が「客観性の高い情報を読者に届けること」の重要性をよく理解しているという大前提の下で、トラックマンや記者が「競馬関係者とファンをつなぐプロの媒介者」としての矜持を持って仕事をしてくれない限り、価値ある情報が読者に届くことはありえない。
 悲しいかな、これが今も多くの競馬専門紙にはびこる現実なのだと、個人的には思っています。

 
 また、「取材」とひとことで言っても、まずは相手との間に信頼関係が存在しなければ、正確な情報や本音を聞き出すことは難しいですし、仮にそれができたとしても、今度は記事の書き方によって、後になってから、その記事に触れた厩舎関係者の機嫌を損ねてしまうこともあるでしょう。
 
 良し悪しは別として、競馬サークルは一種のムラ社会ですから、その中で良好な人間関係を構築するには、一般社会と同等かそれ以上に高いハードルがある。
 競馬サークルの内側を覗いたことなんてただの一度もない私ですら、それくらいのことは、容易に想像できてしまいますからね。
 
 要するに、関係者の本音を上手に引き出し、そのネタを着色せずに紙面に載せて読者に届けることって、口で言うほど簡単なことじゃない。
 だからこそ、それをやれるのが本物のプロであり、そう呼んでもいいレベルの優秀なトラックマンであって、記者なんじゃないかと思ったりするわけです。

フラッグシップモデルは「週刊競馬ブック」!?


 ここで、ステルスマーケティングではないことをはっきりさせた上で書いておくと、私が競馬で安定的に好成績を収められたのは、週刊競馬ブックさまさまだったと思っています。
 今は、ほかの選択肢があるのかもしれませんが、当時は、客観性の高い情報を入手しようとするなら、週刊競馬ブック一択だったのですよね。


 せっかくの機会なので、「なんで週刊競馬ブックだったの?」って話を、簡単に付け加えておくことにしましょう。

 レースをシミュレーションし、予想を組み立てていく際、私が出走各馬の過去のレースぶりを最重要視していることには、この研究所でこれまでも繰り返し触れてきました。
 そんな私が、わざわざお金を出してでも必ず入手しておきたいという情報が、当時、たったひとつだけあったんですね。それは、レース後の関係者のコメントです。
 中には、「レース後の関係者のコメントなんて、各媒体とも一言一句違わないんじゃないの?」と思っている方もいるかもしれませんが、でもね、実際のところは、それほど単純な話じゃないんですよ。

 
 わかりやすいところで言えば、レクリエーションでよくやる「伝言ゲーム」を思い浮かべてみてもらえるといいと思います。最初の人は、最後の人までちゃんと話が伝わるよう必死に努力するんだけれども、それぞれのグループで、話の趣旨がまったく異なる形で最後の人に伝わってしまうことって、よくあるじゃないですか。
 これは、間に入った人が持つ先入観だとか、ちょっとした言葉遣いの違いだとかが原因で起こる現象なのですが、これと同じことが競馬専門紙、スポーツ紙、夕刊紙の領域でも、日常的に起こっているということなんです。

 例えばですが、レース後にジョッキーが「距離が長かったかもね」と公の場でコメントしたとしましょう。このようなケースで多くの媒体は、「○○騎手は距離が長かった、と……」とか、平気で書くんですよ。
 でも、「距離が長かったかもね」と「距離が長かった」では、まったくニュアンスが違います。私が欲しいのは、「距離が長かったかもね」という無着色のコメントですから、「距離が長かった」は明らかな誤訳で、むしろ読者をミスリードすることにしかならない。
 どうでしょう、なんとなく伝わりましたか?

 
 この点、週刊競馬ブックに掲載される関係者のレース後のコメントは、変に着色されていないんです。
 紙面には、記者が書いたレースの振り返りコメントも掲載されているのですが、関係者のコメントとは完全に切り分けられている。そこが秀逸だったんです。
 意識的にかどうかはわかりませんけど、仮に日本語が変だったとしても、関係者から発せられたコメントを「原文ママ」で、掲載しているケースも散見されたくらいでしたし……。 

 まあ、言ってしまえば、これは競馬に限らずメディアとしてあるべき当然の姿ではあるんですけど、いかんせん、その当たり前が当たり前じゃない現実が、当時は私の目の前に横たわっていましたからね。
 あっ、メディア全体の問題として見れば、今もそこは大してカイゼンされていなかったりして……(笑)

競馬ファンの天敵「ノド鳴り」を知るための手段


 そしてもうひとつ、私がレース後のコメントを重要視していた理由は、レースを外から観ているだけでは絶対にわからない情報を入手できるから。
 中でも、「ノド鳴り」という単語には、常に神経質になっていましたね。

 なぜかというと、私たち一般の競馬ファンが、目に穴が開くくらいレース映像を繰り返し観たところで、「ノド鳴り」だけは絶対に見抜くことができないからなんです。
 私は、レースでの勝因、敗因をわからずじまいにしておくことが、長期的な回収率を下げる主たる要因になりうると考えていますから、「あの負け方は解せない」と感じたまま放置しておくことは、自分の中でどうしても許せなかった。
 そんな折、「直線でノドが鳴っちゃった」みたいなコメントに接した瞬間に、すべてがストンと落ちるんです。ああ、なるほど、だからあの馬らしくない失速の仕方をしたんだなって。

 この「ノド鳴り」に関しては、当時、週刊競馬ブックなくして私が知りうる手段はありませんでしたから、毎週、月曜日の夜には、何度も関係者のコメントを読み返したりしていましたね。
 ちなみに、競馬ブックに限らず、当日版の競馬専門紙では、目の前にレースが迫っていることもあってか、この「ノド鳴り」に関しても、バイアスがかかった状態で報じられるケースが目立つような気がします。
 よって、「ノド鳴り」が競走能力に及ぼす影響をより正確に推し量るためには、レース後の関係者のコメントに耳を傾けるのが一番。私は、そう考えています。

コーディネート機能こそが競馬専門紙の生命線


 競馬専門紙の本質的な役割は、関係者とファンをつなぐこと。つまり、予想の発信ばかりに力を入れるのではなく、コーディネート機能をより充実させることであると、私は常日頃から思っています。 

 あえて言うまでもないことですが、一般の競馬ファンは、自分で厩舎に取材に行くことはできませんし、調教時計を自ら記録することもできません。
 ならば、こうした競馬ファンの手が届かない部分をサポートしてくれるのが、競馬専門紙の本質的な役割なんじゃないのかな、って。


 確かにこのような考え方をする競馬ファンは、どちらかというとまだ少数派なのかもしれませんね。
 実際、この「本気の競馬力向上研究所」においても、レース前に発信した見どころ解説記事と、レース後の振り返り記事とでは、閲覧数がほぼダブルスコアの様相を呈していますから、そういったところからも、マーケットのニーズが「予想的要素」のほうに極端に偏っていることが容易に想像できますし、、、

 とはいえ、昔と比べたら一般の競馬ファンも着実に進化を遂げていますから、自らの予想理論に基づいて馬券を買う人が多数派になる時代が、そう遠くない将来に訪れるかもしれません。
 ならば、「主観的な情報」と「客観的な情報」の掲載比率について、競馬専門紙の側も、そろそろ真剣に考えるべき時が来ている。そんな気がしてならないのです。

 あえて極論を言えばですが、まともな予想なんかできなくたっていいから、競馬ファンが予想に役立てられる客観的で有益な情報を、今まで以上のボリュームで紙面に掲載してくれたら、それだけでもお金を払って新聞を買う価値が十二分にある。
 今の時代、そんな見方も、あながち的外れではないような気がするのですが、さて、皆さんはどうお感じになられたでしょうか。


(次回③に続く)

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