見出し画像

徳島の空襲について

太平洋戦争末期の7月に徳島でも空襲があったという事を、
母の田舎である徳島の祖母から聞いた記憶があります。
当時私は小学生で、その時はそれ程興味を引かなかったのですが、
10歳年上の義姉から聞いた話に衝撃を受けました。
父は徳島空襲の時には、徳島市内にいなかったそうです。
しかし空襲で妻子を亡くしたとのことでした。4人の子供の内
生き残った2人の子供は父と共に亡くなった3人を荼毘に付したそうです。
父と一緒にいた2人は私にとっては義兄と義姉になります。私は2人が
大学生の時に一緒に住みました。それまでは父の亡くなった先妻、2人の母の実家で生活していたとのことです。
父は生前戦争中のことは何も話しませんでした。私が知っているのは
義姉から聞かされたことのみで、何故か父に聞く事は出来ませんでした。
母と再婚した父は新しく出直すつもりで何も話さなかったのではと
思いました。
既に父も母も亡くなっています。激動の時代を生きた父母を思うと、
戦争の爪痕が実家にもあった事に心が痛くなるような気もします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?