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「港で別れた卒業生幸せ願う」

3月は卒業の季節、別れの時季でもあります。養護施設
の保育士をしていた時の別れは今もまぶたに浮かびます。
その年、中学生の卒業生は一人でした。彼は大阪の工場に
就職が決まっていました。寮に入居する事になり
慌ただしく荷物の整理をし、施設から旅立つ日が来ました。
その日は夜勤明けで、職員3人と見送るため、彼と小松島港
まで行きました。真新しい服を着た彼は少し緊張をしている
ように感じました。
大阪行きの船に乗る時、「荷物を置いたらデッキに出て来て」と
言ったのですが現れませんでした。その内に出港してしまい、
どうしたんだろうと思いました。
彼は施設ではがき大将的存在。それに反抗期だったこともあり
私はとても手を焼きました。そんな彼だからデッキに出て、元気
よくわれわれと別れをしてくれるものだと思っていました。現れないなんて
考えてもみませんでした。
誰も知る人がいない大阪に一人で行くというのは不安でいっぱいだったの
ではないかな思います。今なら彼の気持ちが痛いほど分かります。
どうか彼の人生が幸せでありますようにと願うばかりです。

故郷徳島新聞「読者の手紙」欄に投稿して3月24日に採用された文章です

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