コロナで変わった世の中と私自身②休業から見つけたもの

こんにちは、星月ピーチです。
朝晩が秋らしくなってきましたね。
体調を崩しやすい時季ですが、皆様ご自愛くださいませね。

さて、①からの続きです。

コロナ。
この新型ウイルスによって、ガラッと世界が変わった。

もちろん我が家にも沢山の変化が訪れた。
私が我が家の中で1番の残念だったなと思うことは、やっと家族で出かけたくなっていた両親のテンションが一気にさがった、ということだった。
去年の今頃は、家族で娘のお祝い兼ねて温泉旅行に行き、年老いてきたけどまだまだ元気な70代の両親が、これからは温泉を楽しみにしよう!なんて出不精の父からも口に出たくらい。(これ我が家では一大事、笑)
早速年明け3月まで全国の温泉街を比較して、どこに行こうか?なんてワイワイやっていたのに。まぁ、2月末からの予約は全てキャンセル。
更に仕事にも大きな影響。言うまでもなく、いわゆる世の中で報道されたり、多くの人が体験したようなそれと同じ状況。
そしてまさかのロックダウンにより、私も1か月休業、娘の保育園も登園自粛。突然、働くママから専業主婦になったわけ。とはいえ、自由に出歩けないし、必要な買い物以外はずっと自宅。3歳児が新緑の季節に自宅に篭れるわけもなく、午前中は公園、お昼前に戻って午後は自宅、夕方また公園、こんなルーティンができあがった。

今思えば、なんて贅沢で幸せな時間だったのだろうかとしみじみ。働かなきゃならないシンママの私は産休育休以来の娘とどっぷり一緒の時間を過ごし、家族というものについて再考できたし、そこで今まで感じたことのない解放感と家族愛による安堵に、人生を考え直すには充分すぎる心軸の変化を目の当たりした。
それまでは、忙しい合間のひとりの時間が大好きで、「物想い」にふけることで自分を癒し、地に足をつけて毎日を努めていた。
ところが、時間に拘束はないが家族といつも一緒。つまりひとりの時間がないことで、私の心の自由が無くなってしまうのではないか、という不安が出てきた。そして、休業という状況で大好きで大切にしてきた仕事を失ってしまうかもという恐怖も生まれた。
そんな状況と心情の中でも、家族の日常はもちろんノンストップ。ある意味先の見える70代の両親はゆったりマイペースな日常で父は家で過ごすのが好きだし(つまり3食必要、オヤツだって食べる元気さ)、母は習い事やお友達と会えない分、溜まっていた韓流ドラマ鑑賞と庭いじり。何もわからないが保育園はお休みで毎日ママがいる事になった3歳児は前記のとおり、嬉しくて遊ぼ遊ぼで体力有り余り、、
不安や先の見えない状況に左右されているのは我が家で私1人なわけで。しかしながら考える暇なく三食掃除洗濯と子育てが、そんな私から物想いにふける自由を奪うわけです。

私からひとりの時間を奪うということは、ほんとに籠の鳥。休業してから始めの1週間は妙な疲れでなんだかもやもやな日々だった。家事の合間にざわざわする気持ちを抑えようとネットばかり見る。LINEで友人とやりとりする。そんな中でも人と繋がっていたいという自分の願望になんだか嫌な気分になったり、あとはネガティブなコロナ情報にうんざりしたり。
ちなみに健康マニアな私は、様々な学びを積み重ねてきたので(このへんもまたゆっくり話したい)コロナの恐怖は感じなかった。それよりも自分ひとりの時間、つまり自由がない事にだんだんとストレスが溜まっていくのがわかった。
そんな時、母が提案してきた些細な事が私のストレス発散になった。「今は気分的に私もお父さんもスーパーも行きたくないわ、あなた1人でデパ地下でまとめて買い物してきてよ。」
この一声で、なんとなく水曜日が私の買い物デイになり、念願のひとりの時間ができたのだ!母ナイス!
そして公共交通機関でデパートまで買い物の往復する90分が私の自由時間となった。不思議なことに、このおかげでストレスはなくなり、そして食材選びやちょっとしたお茶受けのお菓子選びがとても楽しかった。が、その楽しいはずのひとり時間とは裏腹に、街の中心部のあまりに静かな昼間に人生で感じたことのなかった変化を見た。
いつも山のような人で賑わうデパ地下が少なくみんなマスクで忙しなく買い物、広いストリートに私1人しかいない、見た事がない風景ばかり。

そしてある時急に、あ〜そうだなんだ、もう当たり前なことなんて何もないんだ。ひとりの時間をあれだけ望んでいた私だけど、雑踏の中の孤独に、あれだけ望んでいたひとり時間だが急に寂しくなり、買い物もそそくさと早く家族のいる家に帰りたくなった。

自宅に帰ると、おかえり〜という声にかけてくる娘の足音。
その時に気付いた。
不安なことなんて何もないし、ここに全て大切なものがある。私は幸せだな、と。
③へ続く

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