文章

このタイトルを最初に付ける仕組み

noteの仕組み。あんまり良くないかも?

そんな事ないですか?みなさんは
おれは良くない気がしました。まずその話からします。

文章を書く時、タイトルから決めれる事なんてあるのかな?と思いませんか
おれはタイトル通りに文章を書くことが苦手なので
最後にタイトルを一番上に戻って書き直しています。
絵もタイトルから作るなんて事ほとんどありませんが、
ここまできたら逆に(皆さんが思っている通りの逆)タイトルから作るのもアリかもしれません。ね。

アリかナシかなんて決める権利ありますか
権利は先人が命を賭けて手に入れたんだから
それを自ら放棄する必要ないよ

noteに物申す権利も屍の上に成り立っている。


ー別の話(舐めんな とかの話)ーー


舐めんな とか
舐めやがって……(せきあきお(漢字わからない)のYouTubeのやつ思い出す)みたいな
言葉なんとなく
ヤンキーぽさとかオラつきを感じて
かっこいい言葉だと勘違いしてませんか?

おれ自身も少しその感覚はありました。

でも、自分が舐められているかどうかに固執してるのって
かなり外からの評価を軸に置いて生活してます宣言だから
かなりダサくあります。ダサいであります。

舐めんな って言うのやめましょう。

あと別件。か別件じゃないか。
大谷翔平が「憧れるのやめましょう」って
言ったらしい。
これ全くソースが分かりませんが
みんなが言ってるので良いか。
「憧れるのやめましょう」って
きっと大谷翔平が人に憧れを持つ性格だったのかなと推察します。

おれならきっと「舐めんなとか言うのやめましょう」なので、

大谷翔平は名誉がありすぎて、
自分自身に思ってる言葉すら
外に発信しなきゃいけない人なのかも

そしたら大変ですね

ー別の話(CGの話)ー

映画のエグいシーン
(思いっきり死ぬ系、車に撥ねられるとか)
の時特有の
さっきまで人だったのに
急にCGになる瞬間の
「あ、こいつ 死ぬ」っていう感覚

一瞬、CG人間になって
バコーーーーーーーーーーーーーーーーん
ガツーーーーーーーーーーーーーーーーん
(車に撥ねられる デカいタコにぶん殴られるなど)

ってなる映画のやつ
(これもCGの進歩で分からなくなるのでしょう)

おれは心配性(心配症)なので、
散歩中におじさんとすれ違う時
おじさんが暗殺者なら
きっとおれは
ガツーーーーーーーーーーーーん と
(小型のナイフ か 寄生獣の感じで)
殺されるんだろうな と思ってしまいます。

おじさんとすれ違う瞬間、
おれがCGになり
ガツーんと行かれる。という事。

ただ歩いているだけだけど
その間おれは何回もCGになっている感覚になります。

すれ違うおじさん。野良猫。高架下。側溝の網。橋。電灯。電線。道に近いドア。停めてある車。バイク。公衆トイレ。散歩中の犬。電柱の隙間。

きっとあなたに会う時もCGを覚悟しながら
話している事でしょう。

だから緊張しているんです。

もうデカいタコになって
ぶん殴るのやめて下さい。

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