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インドの神様の話 神話の絵から伝えたいことは?

ラーメンも細麺派の高田です。

さて、今日もこの絵から読み取るヨガ哲学。
ちなみに、古典的ヨガ(いわゆる昔から良いとされているヨガの思想)では、基本排他的な考えです。
人は生まれながらに善だけど、生まれた瞬間いろんな悪(癖や環境、エゴや嫉妬など)に囲まれて生きていくことになるので、その一つ一つの原因を「やだ!」と捨てていくことで高みに近づける、悟れる、と言われていました。なのでヨガマスターみたいな人は、仙人のように霞を食べて生きてるみたいな人がイメージとしてありますね。
ヴィーガンで、一日一食で、ものを持たず贅沢をせず、日の出とともに起きて日没とともに眠る。みたいな。着るものもオーガニックコットン!いつも布切れ一枚!って感じの。これは世の中にあふれかえる色んな悪を排他していった結果です。


瞑想して悟りたい。でも川の水のせせらぎが耳障りで集中できない!!

だから川のない森へ行く
そしたら次は風で揺れる木々の音が邪魔で集中できない!!

なので木々のないヒマラヤ山脈のような場所に行く
そうすると次は自分の呼吸の音も邪魔になる‥!

なので魂になろう!そうすれば宇宙(大いなるもの)とつながれる!!

となっていくそうです。
ヨガの世界では、宇宙(大いなるものの)に近づく、それになる、というのが最高峰の高みです。

そして神話にでてきたカーリーの旦那シヴァは、想像と破壊の神様と言われる「この宇宙をつくったひと」ともされるので、とっても尊敬されているし素晴らしい神様と崇められています。これぞ宇宙、大いなるもの!

が、そんな素晴らしい神様が踏まれています。

↑これね。

しかし、見方によっては、カーリーはシヴァに「立脚している」とも見れます。
宇宙に触れている、大いなるものに触れている。ということで、カーリーはやさしいドルガに戻ることになります。これがこの絵から伝えたいことの一つ。(ヨガらしさ満点の考え方)

もう一つは、カーリーとドルガ。
この二面性が大切なんだよ、ということです。

今回の話では、悪行兄弟が暴れて仕方ない状況になってました。ここで優しいドルガが戦ったとしても、勝つことはできなかったかもしれません。
一方で、愛のある怒りではなく、短絡的思考や単純な行為で悪行兄弟に手をかけると、その稚拙な思考は分裂して増えていくだけ。収集がつかなくなります。カーリーのドクロの首飾りや手のスカートがそれらを表してましたね。

私達は子供の頃から、優しくありなさい、怒ってはいけません。と教わりますが、どちらも大切な感情であって、どちらもあるから人間は生きていけるのです。


どういうことか?

カーリーは、敵である悪行兄弟を食べています。つまり、敵=嫌なものですら、自分の体に受け入れている。ということ。
これは最近のヨガ哲学「タントラ哲学」的な考え方ですね。古典的ヨガが排他的とすれば、タントラ哲学は受容的。全てを受け入れる、というものです。

さっきの川のせせらぎも、森の木々と風の音も、そりゃそうだ。そんなもんだな。と受け入れる。その中で幸せやハッピーを見つけていく。という考え方。なので、カーリーは敵すらも自分自身に受け入れて勝利を手にしています。

まぁ神話なのでどこまでを信じるか、はその人によりますが、考え方としては今の時代に適応しやすい部分があるんじゃないかな。と思います。

何事も二面性があるから面白い。
ギャップは魅力です。
ユーモアは知性です。
チャーミーは愛情です。

こんなことを考えながら、昨日のオンラインセミナーで自分が全く進んでないことをまざまざと知り、焦りに焦った2020年最後のセミナー。

できてない自分を受け入れる、ということで、やるべき事が明確になりました。

真面目に見えてズボラ。
体は子供だけど頭脳は大人!みたいな、いいキャッチコピーができればそれを肩書の一つにしたいと思います。

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