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124年ぶりの節分

ルイボスティーにハマりだした高田です。


昨日、2月2日は暦の関係で124年ぶりに節分となったようですね!すごくないですか?もう生きてるうちには出会えない。
星回りやらなんやらの関係で、そんなことが起こるなんて不思議なもんです。絶対だと思っている時間の進み方すら、こんな風にごくごく微量のズレが暦すら変えてしまうことがあるんだな。と。


わずかなズレ。どんなときも感じます!
目に見えないものだからこそ、ふとした時に「あ!」ということになりがち。

その「あ!」を、どの段階で気づけるのか?

修整可能な段階なのか、もはや修整は不可能な段階なのか。これはそのズレのレベルもですが、対応する人間のスキルと比例します。

こりゃもう無理だ!と思うことも、スキルある人間が対応すれば挽回したりします。
そのスキルある人間とは?


わたしが勝手に考えるには、多岐にわたって色んなことを体験として知っている、というのが第一かと思います。(もちろん他にもたくさんある)

この、「体験している」というのは、「知っている」ということではない。
実際に自分自身が失敗するか、成功するか。大なり小なり、なにかしらの結果を最後まで出して検証できた人がスキルとして獲れるものだと思います。


最近はなにを獲れたかしら‥などと考えます。


本来、節分が季節の分かれ目。節が分かれると書きますしね。何事も節分を区切るといい、とも言われます。
やろう、やろうと思っていた瞑想を今日からやってみています。まだまだ粗削りで「瞑想している」まではいきませんが、迷走しないために日々過ごしていかなくてはいけません。むむむ!

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