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グレゴリー・コルベール 『ashes and snow』

ちょっと古い写真集になるが、“装丁が凄い”ということで思い出したのが、グレゴリー・コルベールの『ashes snd snow』。

手漉き紙を蜜でコーティングしたこげ茶色の表紙、紐はハイビスカスの葉で染めているらしい。赤い紐止めは、おそらく何かの実(種)を赤く塗ったものだろう。写真を印刷してある紙も手漉きだという。凝りに凝った装丁で、趣味もいい。

お台場と六本木ヒルズで開催されたグレゴリー・コルベールの個展も、もう十四年前になるらしい。この写真集は、個展の図録だったと思う。

僕はお台場の展示を観にいって、作品の素晴らしさ、スケールに度肝を抜かれた。

と同時に、多くの人が疑問に思ったように、僕も、これらの作品がどうやって撮影されたかが謎だった。

動物と人間が、まるで一緒に生活をしている家族のように親密に写っている。

像やチータやヒョウのような、まかり間違えば、被写体の人間や撮影者に危害を与えるかもしれぬ動物もいる。セットアップフォトには違いないが、相手が動物ゆえに、撮影者の意図通りに動いてくれるわけもない。なのに、動物たちは撮影者の意図を汲んでいるかのごとく、まるでカメラマンの注文に従順に応じるモデルのように自然にポーズを決めている。

合成ではないかと疑った人も多かったらしいが、個展の主催者側が、その種の疑問をあらかじめ予想していたらしく、「合成ではない」というアナウンスをだしていた。

グレゴリー・コルベールは映画も撮っている。写真の中には、動画から切り出した物もあるらしい。被写体の動物も、多くは人間に飼い慣らされた生き物なのかもしれない。

だが、それだけでは先述した謎に対する答えにはなっていないように思う。

おそらくこれらの写真の撮影を可能にしたのは、グレゴリーの才能と努力、そして最も重要なファクターは、「時間」ではないのか。被写体の動物や人間たちと十分に打ち解けられるまで、彼らの信頼を得るまで、グレゴリーは十二分に時間を掛けたのだ。

グレゴリーは、これらの作品を撮影するための旅に、十年もの歳月を掛けており、しかも、その間、他の映像作品はまったく発表していなかったらしい。

様々な点で、それが可能な環境にあった(環境を自ら引き寄せた)のだろう。羨ましい。

だいぶ以前の話になるが、那須温泉のとある旅館に泊まった時、フランス人(男性)の写真家が逗留していた。松尾芭蕉の『奥の細道』行にゆかりのある場所を、旅をしながら撮影してると彼は言って、名刺をくれた。

仕事はコマーシャルフォトグラファー。年齢は40台。

これから東北に入り、日本海側に抜けて南下するらしい。撮影の旅は1年ぐらい掛かるだろうと話していた。

ちなみに、フランス人写真家の使っているカメラは、ローライフレックスだった。といっても二眼レフではない。バッテリー駆動の機種だった。

電気カメラだったのが災いしてか、今、充電器が壊れていて撮影ができないという。

近くに充電器を直せる電気屋はないか、と僕に聞いてきた。土地の人間ではないから、分からないと答えるしかなかった。

僕はハッセルブラッド503CXを持っていたので、「もしよかったらハッセルを貸そうか。ハッセルは仕事では使わないから――」と言うと、遠慮がちに、そういうわけにはいかないと彼は首を振った。

そのあと、彼のローライのバッテリー充電器が直ったかどうかは不明だ。

僕は翌朝、その旅館をあとにした。だが、フランス人写真家はしばらくの間、その古い旅館に泊まると言っていた。

異国で旅をしながら、たっぷりと時間をかけ、自分の好きな写真を撮っている彼が、グレゴリー・コルベールに対するのと同じぐらい羨ましかった。

グレゴリー・コルベール 『ashes and snow』

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