生きづらさを抱えるきみへ

今日はプラネタリウムの話ですらありません。
いや、僕の中で関係はあると思っているんですけどね。僕の話をきいてください。

昔から人付き合いが苦手で、空気が読めず、自分でも気が付かないまま他人を嫌な気分にさせてしまい、友達と疎遠になっていってしまうことがあったような気がしています。
そもそも、小中高校にも馴染めず、ろくに登校できなかったし。

精神科医から自閉症スペクトラムの傾向がある、といわれて僕は絶望していました。
自分の抱えている生きづらさはもう一生変わることはないのだと宣告されたような気持ちでした。
そういう特性をもっている人を差別してはいけないけれど、そういう特性をもっている人と付き合うとういことは負担も大きい、ということは実は自分自身も体感していることで。
僕の父がやっぱり発達障害の傾向にあって、それに対して、僕たち家族ができることと、いうのが、現状、離れて暮らすこと、しかできていないという現実があります。
そういう特性が自分にもあるから、人との深い付き合いを望んではいけない、また不相応の夢を抱いてはいけないのかもしれない、そんな風にも思います。

だけど、最近気がついたこともあって。
ひとつは自分は人より成長が遅いかもしれないけれど、でも、この歳になってもまだ成長することができる、世界の捉え方が変わることがあるのだと感じたことです。それが、僕の特性のよいところなのだと。
もうひとつは、いま僕のまわりには、障がいをもった仲間がたくさんいるけど、その仲間たちに、できないから、欲を持つな、夢を持つなって言うか…!?って考えた時に、絶対言わないだろうと思うんですよね。だから自分にもそんなこと言うべきじゃないって思った。そして、障がいがありながらも頑張って夢を叶えるみんなの姿を見て、僕自身、夢や願望をすべてあきらめる必要はないのだと教えてもらったということです。みなさんからはとても力をもらえています。

人より精神年齢は低いかもしれない、でも、その分、青春期間も長いし、伸びしろもまだあるのだと思います。たぶん。
何より"抱えているもの"があるからこそ、僕にしか伝えることができないものがあるのだと、今では信じています。
まだ失敗もします。ごめんなさい。でも亀のようなスピードですが成長もしてます。こんな歳にもなってこんなこと言ってるの恥ずかしいことではあるのですが、同じような悩みを抱えている人もいるのかもしれないな、と思って僕の話をさせてもらいました。

こんな僕でもまだ付き合ってくれる友達には感謝しかありません。空気が読めなかったり、嫌な気分にさせたこともあったよね。ごめんね。これからもやらかすかもしれない。その優しさに、何か返してあげられることがあるかわからないけど、これからも楽しいことをいっぱい送りたいと思っています。

離れていってしまった友達。嫌な気持ちにさせてしまってごめんなさい。人の相性の形というのはどうしてもあって、僕はそれが特に複雑にトゲトゲした形をしているのだと思う。あなたのせいではありません。ごめんね。

僕にしかできない表現はある、と思います。
人生のつらいこと、どうしようもないことも、芸の肥やし、になるのかな。やっぱりつらいけど。
でもいつか、それを昇華して、表現できれば。
そしてそれを、大切だと思う人に見てもらい、ハッピーになってもらいたいなぁ、と思っています。
自分の全てを背負って、表現することで、もしかしたらだけど、誰かを救うこともあるのかもしれないと思います。

自分にとって、人生に絶望を感じるとき、ってのはあって、それはなかなか避けられなくて、苦しんでいるけれど、自分の本質は、推しのアイドルのように、ハッピーオーラを自分にも他者にも届けられる人であり、推しのアーティストのように、"たぶん誰かを救うこと"を仕事としていける人間でありたい、というところにあると信じていたい。
こんな自分でも、そうであってよいでしょうか。

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