ひとくぎり

今日は個人的な話です。

僕はプラネタリウムの解説者になることが夢でした。
星語ることで人にありがとうと言ってもらえる仕事はなんて素敵なんだろう、と思ったこと。
決して平坦ではなく、雨に打たれ続けていたような自分の人生に光をあたえてくれたのが星だったことが、夢をもつきっかけだったと思います。

夢を実現する為に天文学を学べる大学に進学し、学生の頃から各地のプラネタリウムに足を運んだり、プラネタリウム業界の集まりに参加したり、憧れのプラネタリウムの世界の先輩たちにたくさん話をきいて、思い描いたイメージの向こう側へ行こうとしました。

そして、大学院を修了後、夢だった解説者の仕事に就きました。
初めの頃は、いろいろ大変だったけれど、毎日とても濃密で、最初の1年間は体感では5年くらいあったかのように感じました(笑)

投影を観てくれたお客さんからありがとうと言われたり、投影の感想をいただいたり、僕の投影を観て星を見たよ、星がわかったよ、と言ってもらえる瞬間は本当に嬉しくて、この仕事をしていてよかった、自分にとって天職だと思える瞬間がありました。そして、同じくプラネタリウムの世界で頑張っている、たくさんの仲間もできました。

しかし、どの世界でもそうかもしれませんが、イメージの向こう側は楽しいことばかりではありませんでした。

プラネタリウムの仕事、というのは、安定して長く働くことができる正規の職員もありますが、契約社員だとか、会計年度職員だとか、来年その場所で働くことができるかどうかわからない不安定な立場での採用も多いです。
僕が主に働いてきたのは後者の方で。
ひとつの施設に根をはることができず、いくつもの施設を転々としながら、自分の居場所をさがしてきました。
非正規の仕事は経済的に厳しく、解説者の仕事をあきらめてしまう方も多くいます。自分がそうならないとは限らないと思います。

いくつもの土地を転々とする度、自分の居場所が見つからず、精神的にも疲弊していきました。
そんなとき、働いていたあるプラネタリウムが、リニューアルする際、運営者が自治体から指定管理会社に変わるというタイミングに出会いました。
指定管理者制度といって、自治体から会社が委託を受けて、プラネタリウムのある施設を運営する制度で、解説者はその会社に雇われることになります。

僕が新しい指定管理者の会社に雇われることはありませんでした。

会社との相性というのは色々あると思うので、一概に誰が悪いといえるものではない、と今なら思えるのですが、精神的に弱っていた自分にとって、トドメになるには十分な出来事でした。

自分なりにその施設のために頑張ってきたつもりでした。その施設のもつ魅力を誰よりもわかって、発信していたつもりでした。でも、それは受け入れられなかった。

自分はプラネタリウムの世界に必要のない人間なのではないか。そんな考えに囚われてしまいました。

どこに行っても行き止まりで、精神的に壊れてしまった僕は、次の就職先を探すことができませんでした。

僕は小学校の頃から、不登校になってしまったり、人があたりまえにできることが、できなかったりするので、劣等感と生きづらさを感じながら生きてきました。

周りのプラネタリウム仲間は、正規の職業についている人が多いです。そうでなければ生き残ることが難しい世界だからというのもあると思います。

周りと自分を比べてしまい、自分はできない人間だと、こんな結果になっているのは、人より劣っているからだと、自分を責めて、孤独になってしまいました。

きっと僕の仲間たちは、そんなことないよって言ってくれると思います。でもその声も閉ざしてしまった僕の心では素直に受け取ることができず、ほんとじゃないのかな。と思ってしまうこともありました。そんな風に思ってしまう自分も嫌いになっていきました。

多くの人が高木くんのプラネタリウムを待っているよ。と言ってくれていたのに、それを素直に受け取ることができませんでした。

自分は応援されるに値しない、応援される為にはもっと良い仕事に就いて、もっと良いプラネタリウムをしなければらならない、そんな風に思っていました。

焦れば焦るほど、僕はプラネタリウムも、何もできなくなってしまいました。

しかし、そんな中、参加した、星つむぎの村の合宿でインクルーシブという話題について触れました。
インクルーシブとは障害のある人もない人も様々な特性をもった人も、お互いを尊重しあい、助け合い、良い影響を与え合いながら生きていける社会のしくみです(このあたり勉強不足で理解が間違っていたらごめんなさい)。
そんな社会であればそれはとても優しい世界だなと思いました。
そして、星つむぎの村はとてもインクルーシブな環境がありました。
星つむぎの村に参加されている方にはほんとうに様々な想いの人がいます。障害のある方、障害のある家族を持つ方、大切な人を亡くされた方、生きづらさを感じている方、星に救われた方…などなど様々な想いを持った人たちがお互いを認め合い、優しくふれあう世界がそこにありました。
そんな星つむぎの村の村人たちの優しさに触れるうちに、ありのままの自分でもよいのかな?と思うようになりました。僕は障害はない(もしかしたらあるかもしれないのだけれど)けれど、常に劣等感を感じていた自分にとってインクルーシブな世の中は優しさに満ちていて、そんな世界であればありのままの自分を好きになれるような気がしました。
そこで、初めて、これまで抱えていた自分の想いや苦悩を吐露することができました。とても泣いてしまったのですが、一緒に泣いてくれた方がたくさんいたことがとても印象的で、嬉しかった。

ありのままの自分になれたことで、今まで僕にかけてくれた、仲間たちの「高木くんのプラネタリウムを待っているよ」という言葉がスッと心に届くようになった気がしました。

ありのままの自分を認めることができたら、自分はこんなにも多くの人から優しさをもらっているんだ、愛していただいているんだと、気がつくことができたのです。

まだ、自分の理想のプラネタリウムをみつけることや、その仕事で生きていく道筋はみつかっていないけれど。

でも、こんなにたくさんの人に応援してもらっているのだから、僕のプラネタリウムには人生をかける価値があると、今では信じています。

僕の武器はみなさんの愛です。
ほんとうにいつもいつもありがとうございます。
みなさんのことが大好きです。

僕のプラネタリウムを届けることで、誰かを幸せにできるよう、頂いた愛を、今度は自分が多くの人にふりまけるよう、また歩き出したいと思います。

待っていてください。

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