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遺品のない硫黄島の遺骨をDNA鑑定で特定、今だからできる最大限の技術で少しでも多くの遺骨収集と特定を望む

人間の死は2度あると言われています。1度目は肉体的な死です。2度目は人々から忘れ去られることによる死です。死をどう捉えるかは宗教観や哲学などの価値観により様々ですが、私はこの2度の死という考え方が好きです。そして私が活動する上での重要な動機付けとなっています。自分が肉体的な死を迎えた後にどこまで生き長らえるか、それはすなわち社会にどれほど影響を与えられたかという指標になります。そういう意味では私は200年生きるのを目標としています。結果を自ら観測することはできませんが、漠然としつつも挑戦心をくすぐられます。

硫黄島の遺骨を遺族のDNAと照合することで個人を特定できたという記事を目にしました。硫黄島は小笠原諸島に属する島であり、大東亜戦争の際はアメリカ軍との戦いの舞台となりました。1ヶ月にも及ぶ硫黄島の戦いは結果として負けてしまいましたが、日本にとって非常に重要な戦いだったと言われています。その際の日本軍の兵士の遺体はアメリカ軍によって非常に雑に扱われたそうです。まるで残飯を捨てるかのようにまとめて葬られ、その結果として硫黄等を離発着するための滑走路の下にも埋まっていると聞きます。それが1945年の出来事です。それから76年経った今もなお収集と鑑定が終わっていないというのは胸が締め付けられる思いです。

私達が何食わぬ顔をして生まれ育っている日本という国を命と引き換えに守って下さった御先祖様が認知されることで現代に甦り、改めて死を迎えられるのは喜ばしいことです。意思のない死人をどう扱おうが、本人には何の影響もありません。今を生きる私たちがどう捉えるかに過ぎません。こうして記録として残ることにより、日本という国がある限り、日本のために戦った御先祖様は2度目の死を迎えることなく生きてもらえます。

なぜ日本政府は今まで積極的に遺骨の収集をしてこなかったのか。私はこの話を知ってから深い憤りを感じていました。しかし現代になってこうしてDNA鑑定の技術が進んだからこそ、遺骨から個人を特定できるようになったという結果は興味深く感じます。もっと早ければよかったのか、時間が経った今だからこそよかったのか、複雑な心境です。

硫黄島をはじめとした各地で眠られている御先祖様はまだまだいるそうです。70年以上も経っているので直接の遺族がどれほど居るのかは分かりません。DNA鑑定で個人を特定できたとしても、時間が経てば経つほど、それがどこの誰か、どんな生き様だったのかを知れなくなります。1人でも多くの方が現代に蘇り、日本と共に永遠に生きていただけるようになるのを、1人の日本国民として願っています。


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