#そろそろマスク外そうぜ という呼びかけに対する煩わしさ

ツイッターを眺めていたら「 #そろそろマスク外そうぜ」というハッシュタグが目に入りました。意見の内容は肯定的なものから否定的なものまで様々です。まとまりのないハッシュタグですが、そもそも、そのようなハッシュタグが誕生してトレンド入りしていることに興味を抱きました。

マスクを必要としている生活にうんざりしている人が一定数いるのかと予想します。私がその1人だからです。マスクは単純に煩わしい存在です。息苦しいし、口元が気になるし、肌が荒れるし、飲み物を飲む時に邪魔だし、顔認証に一手間かかるし、管理する「物」が増えます。単純に邪魔です。それでも我慢して着用しているのは社会全体の感染症対策として理解しているからです。

マスク着用を指示されている側面もあります。現時点におけるマスク不着用は、ある意味で一昔前の入れ墨と同じだと思います。法律で規制されてませんし、基本的に個人の自由ですが、墨を入れたらその分だけ肩身が狭くなります。周りから接触を避けられ、危険人物というレッテルを貼られ、場合によっては入店を拒否されたりして生活が窮屈になります。

沢山の煩わしさと感染症対策という相反する重荷を天秤にかけた結果として、マスク着用を選択しています。煩わしさの重荷を早く外したいと思うのは自然なことです。

ちなみに最近はスギ花粉がよく飛んでいるようで花粉症対策としてマスクを必要としている人も増えています。この視点を混ぜるとマスクに関する話題は尚更に混沌とします。複雑になるので今回は無視します。

「マスク外そうぜ」という呼びかけが紛糾するのはおそらく極論者による対立があります。マスク不要論者とマスク必要論者による対立です。ツイッターは短文である故に論を立てた表現が難しいので、何かしらの意見を言えば極論者のように見えてしまう影響もあると思います。実際の極論者はごく少数なのでしょうが、あたかも大きな対立が生じているように見えてしまいます。

マスク不要論の論点は主に2つです。マスクは意味がないという点と、マスク着用が不健康を招くという点です。意味がないという点においては繊維の目がウイルスや細菌よりも圧倒的に大きいので、通してしまうので意味がないという主張です。不健康を招くという点においては、マスクが付着したウイルスや細菌を培養したり、酸素不足が免疫力低下につながるという主張です。

マスク不要論に対する私の意見を書きます。目の大きさに関しては確かにそうですが、飛沫を飛ばさない効果や口元の湿度を保つ点も並べて総合的に考えるべきではと思います。不健康を招くという点においては確かにマスクを取り替えたり不要な場面では外すなどの対策をすべきと思います。

マスク必要論は単純に感染症対策として促しています。中国武漢市を発祥とする新型コロナウイルス感染症は感染力が特に強い病気です。そして基礎疾患のある者や高齢者などの健康弱者にとっては致命的な驚異となっています。引き続き飛沫を飛ばさず接触を減らす対策をする必要はあるでしょう。ワクチンが普及したところでウイルスが消えるわけでもなければ、感染自体が止まるわけではありません。確度の高い治療法が確立するまでマスク必要論は続くでしょう。

マスクの着用はマスク不要論とマスク必要論の両方を天秤にかけて各自が判断しているのが現状です。「 #そろそろマスク外そうぜ 」という呼びかけは、この天秤の片側を持ち上げる行為です。煩わしさしかありません。引き続き極論者に惑わされずに客観的な事実に基づいて判断をしていけたらと思います。

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