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私は昔から父親に嫌悪感を抱いている。
父と話す際は、目が怯えているし、少なからず身体が震えている時もある。
父の言葉を借りれば、それは『精神的に弱い』ことの表象ではあるものの、間違いなく私の体は父と話すことを求めていない。

私は劣等感を感じながら生きてきた。
父の言葉はいつも単純明確で、効率的であるからだ。
いくら言葉の壁を築こうとも、刹那のうちに私は敗北を認めてしまう。
「確かにそれはそう」と言ってしまう。

私の考え方の根幹には【義】がある。
誰かに親切にしてもらったらお返ししたいと心から思うし、誰かに不親切にされたら、理由を考えなければならないと強く思っている。

しかし、父は自分の立ち位置を最大にするべく他者を排斥する考えが根底にあるのではないかと常々感じている。

もちろん社会に出たら、不条理なことを受け入れなければならないことは理解しているつもりである。しかしながら、自分に決定権がある時はできるだけ他者を、自分を裏切らない選択をするべきではないだろうか。

こんなことを言えるのは多感な今だけなのかもしれない。
しかしながら、私は他者を尊重するこの気持ちをいつまでも大切にしたいと感じ、ここに綴る。

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