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ひとのいのちというもの

久しぶりにnote書きます。

今日で東日本大震災から11年です。
ちょうど昨日書類を整理していたら、震災3か月後に南相馬にボランティアにいったときの市長さんからのお礼状がでてきました。
震災から3か月後、原発の近くである南相馬にボランティアで行くスタッフが足りないという話を聞いて、交通手段として使える自転車と、避難場所に設置する冷蔵庫を運ぶお手伝いをしにいってきたものです。
お手伝いの本当にお手伝い程度のものでしたが、それでもあの時は何かしなくちゃ、と思ってやっていた、そんな記憶があります。

3月11日、何もできることなく、TVで流れてくる映像にただただ茫然としていたことを今でも思い出します。
多くの人の命が失われて、できることがなくただTVを見ていた日でした。
多くの人と同じく、私もあの気持ちは11年たっても、忘れることができません。なので、震災の被害にあわれた当事者の人たちの気持ちは思うべくもありません。
多くの人の心の傷が少しでも癒えることを願います。

あれから11年たち、今、同じような気持ちで世界情勢を見ています。
毎日TVで見ることしかできないもどかしい現実と失われていく多くの命は、震災と同じように失われてよい命ではないです。
しかもそれが避けることができる人間の手で行われていることに、怒りも感じます。

多くの方が声を上げて、この戦争を反対しています。
届くかわからなくても声を上げることは大事なことだとおもい、多くの命がうしなわれてしまったこの日に、救える命があればとおもい私もネットの小さな片隅で声を上げたいと思います。

#prayfor0311
#nomorewar #PrayForUkraine


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