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一生かけて嫌いな人

「嫌な思い出だって時間薬が解決してくれる」とはよく言いますが、本当にそうでしょうか?

立場がフィフティでなくてこちらが身を引いた場合。

一方的にやられて終わりだったことは、きっとこれからも一生ゆるさないし、なにかのきっかけでその思いがあふれてくるという経験を繰り返しませんか?

少なくても私はそうやって暮らしてきてしまいました。やり返すことができなかったことは、いまでも悔しさは鮮明に思い出せます。意識がその方向へ向きさえすればいつでも思い出せます。

それを忘れるには、もっと大きなできごとで上書きするしかありません。

やりがいのあること、ワクワクすること、楽しいことで満ち足りていれば、方向を捻じ曲げることができました。もちろん。つらいことや苦しいことに立ち向かう、そんな気持でも上書きはできました。

#私の昔話 の第二回は、どうしても忘れることができない負の荷物。「一生かけて嫌いな人」のことを話します。

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ひとりめは…というか相手は多数になりますが、中学の時の同級生たち。

クラスのボス的な男子とケンカになったことがきっかけで、クラスの男子全員から、最終的には同じ学年の全男子から無視されて、からかわれて過ごしました。中学二年のできごとだったので、それから卒業までの間ずっとです。

男子に無視される女子に女子の友達ができるわけもなく、中学時代に同じ学校の友達はほとんどいませんでした。

いまでも忘れられないのが、メガネをふいてると言われたひとことです。

「わ。あいつ、なまいきにメガネふいてるわ。キモイ。」

・・・なんでしょうね。ほんとに。
これを言ったヤツは、どこに食いついてるんでしょうね。馬鹿みたい。

とまぁ、学校ではまわりのみんながそんな感じでしたから、なんにも楽しくはありませんでした。親がめちゃめちゃきびしかったので、いちおう学校へは行っていましたが、勉強もほとんどせずに学校外の友達と遊びほうけていました。

学校の外に友達がいなければ、もしかしたら死んでたかもしれないなと思います。ひとはぜったいにどこかに救いが必要なんですよね。「あなたは、ここにいてもいい」と許容してくれる仲間がひとには必要なんだとこの時に学びました。

そんなでしたから、先生からの扱われ方もひどかったです。思い返してみると版を押したような「劣等生」というやつでしたね。立場が強い人が、弱い人に対してどんなふうに接するか。どうしたら、気持ち的に切り抜けられるのかを知りました。

その後、どうにかこうにかある高校に拾ってもらって入学し、いい先生と仲間に巡り合い、勉強の楽しさやら集団行動のありがたさも経験することになります。

成績もずいぶん良くなったので、先生から「優等生」として扱われるようにもなりました。自分の方が立場が強くなったことで、コミュニケーションする上での目線が変わったりもしました。

この学生時代の浮き沈みを経験したからこそ、いまの私の人格が形成されたんだなと、大人になったいまでは思います。

しかしながら。

中学時代にひどい扱いを受けたことは、忘れません。おかげで、どっか冷めてる歪んだ性格になったと思うし。なにより、受けた心の傷はなおらないものです。上書きして忘れたふりをすることはできても。

結果オーライだと思うけど、嫌いだという気持ちは残りました。

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二人めは、つとめ先の社長です。

これがもう本当にひどい会社で、6年間フルタイムで勤めたんですが、遠方で式をあげるというのに、結婚式の前後3日しか有給をくれなかったというぐらいのひどい扱いでした。(健康診断もなくて、会社として社員の保証をまったくしてくれてなかったんですよ。)

この会社から出向という形で某会社で働いていたのですが、どうしても正社員になりたくて、6年立った日に転職しました。

出向先の会社では、みなさん本当によくしてくれてうれしかった。出向社員ではさせてもらえないような、責任があってやりがいのある仕事に心から楽しんで打ち込んでいました。

けれど、ふと振り返ると、出向先で同じように働く仲間と自分とのおおきな壁に突き当たったのです。同じように働いているのに、なんで私にはこんなに保障もなく、社会的な立場も弱いのか、と。

そう思って、新天地に進むことにしたのです。まったく違う職種でしたが、自分の可能性を信じて。

社長に「辞めます」と報告にいきました。

強面で鬼のように怖い社長と事務所にしているマンションの一室でふたりきりの状態で、対決にいくような覚悟で報告に行ったのを覚えています。

社長は本当に辞めるのか?となんども問いただしてきました。どうしても説得ができないとわかった時に言われた言葉を、いまでも覚えています。

「おまえみたいなもんが、外へ出てもなんにも仕事なんかできへん。」
と言われたのです。

それを言われてカチン!ときた私は、社長に対して怒鳴り、その場を去りました。言われたときは、本当に憎くて殺してやろうかと思ったぐらいです。

本当の所はわかりませんが、いろいろと聞いた話によると、私一人が辞めたことで、会社には思いがけず急な損失がでたのだと思います。当時、私が働いていた時間数からみて、同僚の中で一番稼いでいたはずでしたし。(法令に則って、一か月以上前に辞めたいという話をしていますし、仕事の引き継ぎもやりましたので、私のほうに問題はありませんでしたが。)

あんまりにもむかついたので、あとから労働基準局にいったりして、会社を訴えてやろうかと画策したりしましたが、「証拠がないと動けない」ということで、そのまま泣き寝入りとなりました。くやしかったなぁ。

この経験があったからこそ、その後にさまざまな仕事をする上で雇用契約上の大きなトラブルもなく、慎重にやってこれたと思うので、いい勉強になったとは思います。

なにより、出向先の会社で経験させて頂いたさまざまなことがらが、私に残された財産でしたし。

しかしながら。

辞める時に社長に言われたことは、忘れることはできません。「あんな奴は、ろくな死に方せーへんわ。ダボが。」と普通に悪態をつける自信があるぐらいいまでも怒りはさめていません。

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つらつらと書き連ねてきましたが、ゆるせないことは、ゆるせないままに、自分の気持ちをなだめながら、折り合いをつけて生きていくしかないんだなと、思います。

忘れなくてもいいんです。

でも。できればちょっとでも、上書きできるようなワクワクを、楽しさを見つけていこうと思います。

だって、嫌いな人のせいで、自分の人生すり減らしてばっかりとか、もったいないじゃないですか。けっこう短いよ。人生ってやつは。

外に出れば、桜がきれいだし、美味しいものもあるし、もしかしたら、飛び切り楽しいことにであえるかもしれません。

それでももし思い出しちゃったら、そのときワーッとムカつきなおして、ムカつき飽きたらまた、パカンと蓋を閉じればいい。臭い物にはとりあえず蓋ですよ。

ありきたりですが、そういう風に生きていこうと思います。
少なくても私は、それでいいと思ってます。
自分の人生だもの。自分で決めていいよね。

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