自我のお話(未完)

※サンアカ3にて頒布した本「アフターワード」の内容にまつわるお話を含みます。
かつてあれだけnoteなりスペースなりで語っておいてまだ語るのか、というお話なんですが、1年経った今あの作品を振り返った所自分にとって新しい意味が生まれていたのでちょっと語ってみたくなりました。
正直キャラの私物化とか自分語りとかそういう成分を大いに含むので、リアンという人間を掘り下げたい超物好きな方以外は読まない方がいいかもしれません。



皆さんは小説を書く時に何を込めているでしょうか。ここではブルアカの二次創作に限りますが(他のジャンルとか一次創作とか含めると話がややこしくなりかねないので)
まずはキャラに対する愛着とか願いとか。
それから、ブルーアーカイブという作品の枠組みを超えて、人生観だとか、自分の思う正しさだとか、有り体に言えば人間としての「思想」とか。
そういうのが一般的でしょう。多分。

ただ、私、人様に胸を張って押し出せるようなものが無いんですよね。
少なくとも後者に関しては。

いや、無いと思い込んでいるだけで、もしかしたらそれらしき物は有るのかもしれないけれど。
もし有ったとしても自分の中ではまだ主張するに値していないものなんです。多分。

創作論を堂々と語れる人間に近寄りたくないんですよね。
そういう人を見るとただただ委縮してしまうから。
貴方は立派ですね凄いですね、それに引き換え私は、ってなるのを止めようがないから。
自分が書く文章には(特にpixivにサクッと乗せるような文章)むしろ必要以上のものを込めたくないし、単純に書いてある情景を楽しんで頂きたいだけなんです。

そんなわけで、自分の二次創作小説にはあまり独自解釈みたいなものは入れないし、極端にメッセージ性の強い話も書かないことにしています。
曇らせとか死ネタとかやっておいて何を、って感じなのですが、とにかく「多くの人に納得してもらえそう」なラインは守って書いているつもりです。
その辺を突き破り、自分らしさを追求して書くのもきっと大変楽しいんでしょうけど、ボロが出そうなので。


ただ、そこからほんの1歩だけ踏み出して書いた作品がひとつありました。
今振り返ってみても、「これだけ妙に違うし、この手の解釈ってあまり他で見ないよな」と。

それが、自分が初めて本にした作品「アフターワード」でした。


「公式が何も語ろうとしない」人物を、いっそ「何も語れるようなことがない」ような、空白を抱えた人間として書こうとしました。
「1年生のノノミの振る舞いがよそよそしすぎる」一点だけは他の人と話す中で得た解釈ですが、その先の広げ方は全部自己流です。これは相当に珍しいことでした。
あと、そもそも論、小説という媒体、こういう粒度の話でノノミを主体として書いている作品なんて私は一つ二つ程度しか知りません(ひどい)。そういう意味でも珍しいです。


正直、純粋な目でノノミというキャラを推している人々に対して、ある種冒涜のような行為であるという自覚はちょっとあります。
そういう後ろめたさを抱えたくないから、ちょっとメジャーな解釈に身を寄せてその範囲内でアレコレやっているのが自分の小説だった、はずでした。

では何故、自分の流儀みたいなものを破ってそんなことをしたのか?
せっかく本を出すのだから一度ぐらい好きなことを書きたかった。それはそう、という感じですね。
ただ、その「好きなこと」って?

ズバリ、
「何もない(と思っている)人間が、何もない(と思っている)少女を描き、代わりに救われてもらうこと」でした。

今だから白状できることですね。
周りの人を、どんな形であれ支えようとすること。ノノミはそういった行為でしか自分を定義できない、という旨の描写がありました。あれは30%ぐらい私の心情を基にしています。
後、家柄……はまあ私には特に関係ないんですけれど、ともかく自分の所属とか、持っている力とか、そういうものでしか自分を定義できない、そういう描写もしたはずです。これも30%ぐらい私の心情を基にしています。

つまるところ、十六夜ノノミというキャラクターが持つ空白の部分に対して、私は微かに自己を投影していた訳です。
正直こういうことをする書き手って私は好きじゃないんですが、それでも一度だけやってみようと思いました。


↑どうやら2月中旬に書き始めたらしいですが、ここで文章は途切れていました
アビドス3章が公開されて、全力で外しに行った自己解釈は実際全力で外れてくれていたということをしっかり見届けてきたので
面白かったねえと思います。

それはそれとして、
正しく流れを汲んだホシノノもそのうち書きたいなあと思いますが、
残念ながらここ最近仕事での嫌な事に脳のリソースを割かれ過ぎて手付かずです。

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