2.ひとりぼっちのクドリャフカ 【#一週間クドリャフカ】
ちょっとした思いつきで、前回分と合わせてタイトルを変えました。どっちでもいいんですけどね。
今日は本当に大した事書かない予定なのでサクッといきます。
テーマ的に考察しようがないというか、もう単なるオタク語りでしか話を広げようがないので(?)
冒頭のシーンですが、言ってしまえば理樹の解像度高めな妄想、みたいなものです。でも、きっとそれは合っているんだろうなあと。
クドが身に着けているコウモリの髪飾り。コウモリは、鳥にも獣にも馴染めず、ただ独り夜空を飛ぶ存在、として作中で描かれています。
彼女は、そんなコウモリに、どこか自分を重ねていたようですから。
ところで、作中では小鞠によるアレンジというか、手心が加えられた「コウモリのお話」。
原作のイソップ童話ではどんな内容だったんだろう、と調べてみたのですが、思いのほか大胆に書き換えられていたんですね。
題名は「卑怯なコウモリ」。鳥と獣が争っている中で、鳥が有利になると鳥に、獣が有利になると獣に良い顔をして取り入ろうとするコウモリの話です。そして、彼はどちらからも追いやられ、独り洞窟に身を潜め、夜空を飛び回るようになったのだとか。
一方で小鞠の話では、コウモリは争いを止めるために両者に介入していた、という事になっています。それは、自分と同じく「鳥でも獣でもない」立場だった、かものはしの居場所を見つけてあげる為です。
コウモリの努力の甲斐あって争いは止むのですが、両者の間を度々飛び回ったことに不信感を抱かれた彼は「どっちつかずの裏切り者」として、やはり独りになってしまいます。
物語を書き換えるのなら、その結末ごと変えてしまいそうなものです。しかし、最終的にコウモリが独りになってしまう所だけはそのままでした。
理樹は、コウモリの幸せについて疑問を抱きました。でも、クドにとってはこれは十分なハッピーエンドとして映ったようです。
夜が好きなコウモリにとって、友達の役に立てた上で、夜空を好きに飛び回れるのなら、それで良かったのだ、と。
自己犠牲を良しとする精神とか、孤独というものが身近にあったが故の考え方とか、もしかしたら色々と滲み出ているエピソード…なのかもしれません。
実際、クドリャフカという少女はずっと独りでした。
家族の都合で世界中を転々としてきた彼女は、「へんな子」であるが故に友達を作る事すらうまく行かず、仕事に忙しい両親と触れ合う事も満足に出来ず、「どこにも繋がっていない」存在として生きてきたのです。
その孤独が自分を余計に「へんな子」にしてしまった、と語る彼女にとって、ただ自分を笑わないでいてくれた理樹の存在は、そして色んな個性を包含したリトルバスターズという居場所は、どれほど大きな救いになっていたのでしょうか。
本日はここまで。
恐らく次回から、どんどん危険な感情移入の仕方をしていきます。盛り上がっていきます(?)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?