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Life is not party

人生はパーティなんかじゃない。何が楽しいか、指で数えることもできない。辛いことの数だけ指を折ったら一体両手足じゃ足りやしない。どこから話そうか。どこからも話したくない。寂しい。その寂しさは自分の孤独も、愛する人が少しづつ死に寄り添うために離れていくことも、全部俺の寂しさだ。明日はバイトだ。エリアマネージャーは正しさで僕を殴ってくる人だなと思った。当たり前のこと、それを身に着けてない人をとことん糾弾するのだろう。その行為はだれが見ても全うで、ひどく正しい。だからこそこっちは嫌になる。土曜日は地元のフェスに行った。自然に囲まれ、落ち着けれた。人の優しさを触れた。その次の日は自分の部屋にこもっていた。時計が何周かして、来る現実が部屋のドアをノックする。気分も太陽も落ちていく。こんな文章を中学の同級生に見られでもしたらクラス中に笑い声が響くだろう。ぼくの父をおじいちゃんと揶揄し笑ったあの日のように。好きなものですら偏見を持たれ、感想もろくに言えない。僕はリリィシュシュのすべてを見て本当に感動した。映画はハッピーエンド、うまく終わるというステレオタイプを壊してくれた。だってそうだったじゃないか。君を笑った、殴った、怒鳴った、軽蔑した、そいつらの人生は破綻したか?電車で流行りを身にまとい家族と電話してるのを見た。とても人を無下にしたようには見えないほど幸せだった。でも僕はそこで安心したよ。なぜかって。結局あのときにあなたが放った言葉、あなたが僕にした行為、それは全貌を思い出したら正当だったからだよ。そして恨みを心の奥底に抱いた僕は不当だった。
僕はところどころ幸せのプールに飛び込めれるからこそ、辛い。プールに入れず日陰のベンチに座っている彼らのほうを世界は可哀想とするから。ぼくも可哀想と思う。彼らに罪はない。でも僕にも罪はない。だから一日、いや一時間だけでもいいからそのベンチに座りたい。でもみんながダメだって。「お前は平気だろう」「つまらんことで休むな」
君の気持ちがわからない。だから一緒にいたい。気持ちがわかるほうが奇妙だろう。
こんなことを言ったって、いつかの僕は恥ずかしく思い「おい!過去の俺はこんなことを書いてたよ!なんてみじめだ」と笑い話にするんだろう。覚えておいて。あなたがその瞬間に残した言葉を絶対に笑ってはいけない。絶対に消してはいけない。それを台無しにするのは、あなたを笑った輩と何にも変わりはしないよ。いくら稚拙でも、いくら格好つけてても、いくら冷笑的でも、残さなきゃならないんだ。恥ずかしさもあるけどそこには価値がある。決して無くさないようにして。もう二時になる。もう少し起きていよう。夜が明けるにはまだ早い。好きなお菓子を食べよう、好きなアニメを見よう、好きなゲームをしよう、丑三つ時にはあなたに見えない幽霊があなたといるかもしれない。それなら、そっちのほうがいい.
Life is not party,but Life is happy(In case)

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