同じ土俵に降りないができるようになるまで
どちらかというと短気な方かもしれない。
心に着火する瞬間に出してしまう所作がいちいち危うい。
物を投げるとかそういった物理的なものではなく、精神の方を撫でて逃げるみたいな。かっこ悪いし尾を引く、本当に浅はかな怒りの向け方を反射してしまう。それが防衛本能ってやつだと知ったのは25年くらい生きてしまってからだった。
弱い。弱いと思う。
怒りを客観視しろって言ったって自分は自分で客じゃない。瞬間的な我慢のターンが出来たら、次は後からふつふつ来てしまったものの鎮火だ。これはこれでパワーを使う。
「・・・やっぱりアレ言っとけば良かったな」
「ばっきゃろう、今更だろ」
自分がもっとこうしておけば良かったねをやらしくなく投げかけれる?あなたはこの世の呪いと戦える?無〜〜〜理〜〜〜〜ィ
大人になってから諦めをうまく使えるようになったな。
ヨルシカさんの少年時代聞いたことあります?今のわたしの激情鎮魂歌かもしれない。
原曲へのリスペクトが滲む。伴奏も含めて「あの夏」って感じに懐かしい
夏が過ぎ風あざみ。井上陽水さんは天才かつ天真爛漫だと思う、本当に。
結局何を考えても頭がとっちらかるね。自分だけだしいっか。
怒りを感じる仕組みはもうわかったんだよ。わかったつもりなんだよ。この世、文献多すぎて望めばどんどん出るね。カセキホリダーかよ。
気持ちが乱れた原因は考えるし対策も練りたい理論の部分と、気持ちを逸らす為の引き出しを多く持てなっていう感情コントロールの部分。
バランスってこういうことでしょう。怒りの長さは依存心に比例するよね?しない?そりゃ失礼。
許せないことがあるのは良いことなんだよ。
何故泣いてるかわからなかったアレとか、我慢すれば丸く収まるかもみたいなソレとかは自分の為になったかい?ならなかったんだよ。
意思決定の後押しにしたり、有効活用した方がいいじゃんね。正義感なんてクソだよみたいな心持ちの時もありますし、落ちてるゴミ拾っちゃう時もあるじゃん。それだよ。
その怒りはキミにとって大事なことなんでしょう?を、自問自答すると割と落ち着く。
客観視は難しいからこの方法に落ち着いてる。
・・・
期待しないと怒らないんだって。へぇ。
期待するよ、俺はお前らに
同じ時代を生きてるんだもの、それくらい勝手にさせてくれよ
いつか年老いて、体力も無くなって、諦めが増えて、全てがどうでも良くなったら虚無をこねくり回す日々をおくるんだろか
そりゃなかなか怖いです。
納得したフリするんじゃねーよってセリフほんといいと思う。
塞ぎ込んだ時、これを言ってくれる人が近くにいて欲しい。憧れる。じゃあお前がなっちまえよ。そうしようか。
自分は悪くないを過剰に出され過ぎること。あれは結構精神的にきたな。あからさまに態度に出されるとこんな気持ちになるのか、成る程。自分を感情の実験台にするな。しろ。
一言言おうと思えば言えたんだよ。そんなことがあった。自ら選んで言わなかった。すげぇ。どっちでもいけたタイミングだった。後から後悔とかもない、あの時の行動を選んだという決定感があった。
土俵入りしない選択ができるのかと。
良い経験だった。
あんまり忘れたくない、だから書いとく。
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