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多分、人生で初めて尊敬した大人
アルバイト時代にお世話になっていた方と会う機会があった。
嬉しい。
多分、人生で初めて尊敬した大人。
自分を変えてくれた...とか、恩師だとかそんなんじゃない。ただのバイト先の社員だった人。
会うだけで嬉しくなっちゃう人。それだけ。
今だに会うだけでこんなに嬉しいのかと心が弾んでしまった。お変わりない様で、言動や佇まいが相変わらずかっこよかった。
わたしが無茶苦茶やっても否定せず、やれるだけやれと囃し立てる。失敗してもなーにしてんだよって笑ってフォローに来るようなお方。
聞いてくださいよ!これ見てくださいよ!を心から言えちゃうのは楽しい。
間違えることが出来る安心感は気持ちのアクセルをベタ踏みできる。許されるなら間違えてもいっか〜では断じてない。
持てる判断材料から最大限選んで行動することを許される感覚。あれはいいものだ。人生の中で身をもって体験してよかったことの一つ。
その昔若かりし頃、自分が幹事をした職場の集まりで会費の計算をミスって1万円足りなくなったことがあった。
そんな事はない筈だと何度も計算して、やっぱり合わなくて、コソコソと責任を取ろうとしたら、サッと現れてばーかって笑って言いながらその人にこっそり一万円札を握らされた。
何故バレたのかもわからない。
お金の不始末の尻拭いをヒョイと肩代わりした。今考えてもカッコ良過ぎる。
同じシュチュエーションが起きたら真似してやるんだって思ったあの時の憧れが、形を変えて今の人間関係に生きている。
なーにやってんだよ、しょーがないなぁ、呼んでくれてありがとねを頻繁に使うのはその大人から貰ったものなんだと思う。
その言葉が少しひん曲がって伝わって甘えになったら自他の為にならないから、緩急つけて大切に使ってる。
そもそも論だが、大人という概念がまとめて好きではなかった時代が長かった。
大勢の人が良いというものを良いと思い込み、笑ってないのに笑ってる人が多いなって感じ。それはそれで頑張ってる人たちなのに、ただそれだけでつまらないななんて感じていた。
自分の考えが浅いと思う、みんなよくやってんじゃんかよ。
ちゃんと見たらそんな事ないってわかるのにね。レッテルって不便ね。
でも今も少し思ってる。それでいいのかい?って思う大人にはふーんって感じ。
なんだろ、口にする言葉が本当に思って言ってるのかが疑わしかったり。皮だけを綺麗にしたり。しゃらくさいんだとおもう。
そうやって大人ぶってる人たちの建前が綻ぶ瞬間ってなんであんなに惹かれるのか。
諦めとか我慢の感情が滲んでるより、つまんねーことをハッキリつまらないと言えちゃう大人のがやっぱり面白い。素直な人のが届きやすいよね。この人言うことめちゃくちゃだけど一切嘘言ってないな...みたいなやつ好きだよ。
大らかさと適度な適当さ、おうおうやっちまえと後方で構えれる器量。
まぁなんとなるっしょを本当になんとかしてしまう人。
それはかっこいいよな。
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