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されど われらが日々──・柴田翔

── そりゃさ、若いころはムツカシイことに頭つっ込みたくなるけれど、そのめくるめく過剰さの正体は何なんだ?……


ということで今回読んだのは『されど われらが日々──』(文春文庫新装版)。柴田翔の第51回芥川賞受賞作である。1964年、文藝春秋新社から刊行された。そのあらすじを紹介すると……。


夕方の秋の雨の日、主人公の東大大学院生の「私」(大橋文夫)は、古本屋に寄った。発売して日が浅いHの全集を見つけ、買った。数日後の土曜日、私の下宿に婚約者の節子(私の遠縁の親戚)がやってきた。節子は女子大にいた時は歴研の部員であり、学生運動にも参加していた。いまは商事会社に勤めている。私は来年大学院を修了したら、F県のF大に就職し、節子もF県で英語の先生の職でも探すつもりだ。節子は、夕食をつくりながら言った「私、こうやって、一生あなたのお食事、作ってあげるのかしら」(このポツリと言うセリフに、男の僕としてはドキリとする)。

節子は帰りぎわ、H全集に蔵書印が押してあるのを見つけ、気になった様子で、本を貸してほしいという、節子は謎解きに夢中になる性格でもないのに。

後日、節子はH全集の蔵書印が、合同研究会の席で知り合った、一学年上の佐野がくれた本のそれと同一であることを知る。佐野とはもう四年以上も会っていなく、住所もわからない。彼は共産党員であったが、地下にもぐる、合同研究会もやめる、と告げた日、節子はその本をもらったのだ。佐野の行方が気になる節子のためにも、私は、佐野のことを友人にきいてみた。佐野は自殺していたことを知る……。


一読の印象は……難しい。判ったのは、それこそ東大にでも入る頭がないと、政治的な考えの違いや若者の個の違いがいかように生じ、彼らそれぞれの生き方考え方にどうつながりどうして分かれるのか、よく判らない、ということ(佐野の遺書の文章だって、秀才らしくめちゃくちゃ長いし、むずいし……)。この本が当時めちゃくちゃ売れたのは世のエリートたちがこぞって買ったから?という疑問さえわいた。理想や思いがいちいち絡み合う複雑さ煩雑さ、難しいことは判らないが、とにかくおまえら、思考がセンチメンタルすぎるだろ。

当時の時代背景とか政治の流れとか僕は無知でよく判らないけど(六全協とか山村工作隊とか何のこと?)、まあリアリティーはあるわな。どのへんにリアリティーを感じたかというと、小説中の長い遺書や手紙の文章、一凡人の僕としてはまったく読むのも疲れて時間がかかるのだけど、登場人物たちのようなエリートたちには、苦もなく読み書きできるくらいの文量と内容だろう、ということ。秀才は、この200ページ程度の小説を苦もなくさらりと読み終えてしまえるだろう。小説の中のエリートたちは、凡人の読者の僕からしたら辟易するような手紙のやりとりを、その読み書き自体は気軽におこなっているようすである。もちろん彼らもそれを受けてちゃんと思考したり誤読したりはするのだけれど。とにかく凡人の手紙ならあんなに長くはないだろ、ということは僕は言いたいのね。


じゃあ、しんどいけど、もう一度読むか。この小説の、エリートたちの、いいたいことがもう少しは理解できるかな……。


★ されど われらが日々──・柴田翔・文藝春秋新社・単行本1964年刊行。1974年文春文庫刊行。2007年文春文庫新装版刊行。




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