本史くんと学ぶ高校日本史②

今日も来てくれたんだ…あ!いや違う!教えることで自分の勉強にもなるからね、そのためだよ。
前回、縄文時代までやったね。まさか忘れてないよね?今日は弥生時代から行くよ。

弥生時代

弥生時代といえば、水稲耕作が始まったという認識はある?佐賀県菜畑遺跡、福岡県板付遺跡で水田痕跡が残ってる。紀元前4〜5世紀に、全国にも広がったよ。作られた稲は高床倉庫に保存されたね。最初は湿田だけだったけど、農具の普及により乾田も使われるようになった。全国とは言ったけど例外があって、北海道は擦文土器を使った擦文文化、オホーツク文化が成立した続縄文文化、南西諸島は貝塚文化が見られたよ。
弥生文化の特徴は、その多くが渡来人との交流により成立したものだよ。機織り技術に、石包丁など大陸由来の磨製石器の使用、金属器の使用などだね。使われ方はいろいろで、鉄器は武器、青銅器は祭器に使用されたんだ。
弥生土器も作られたね。高音で焼く技術ができたから、薄手で赤褐色のものが見つかっているよ。
勘違いしないで欲しいけど、縄文文化が失われたわけではないんだ。打製石器や竪穴住居も、ちゃんと使われてるよ。
弥生文化の側面として、戦いが発生したことがあげられるよ。まわりを溝で囲んだ環濠集落が出来たね。武器が大型化したり、首なしの人骨が見つかったりと、戦闘の痕跡も窺える。巨大な集落が周りの集落を取り込んで、「クニ」が誕生したんだ。
死んだ人の埋葬方法も変わったね。集落の共同墓地で伸展葬されたんだ。穴を掘って上に石を載せる支石墓、大きな土器に入れる甕棺墓が多く見られた。墓が巨大化したのも特徴だね。岡山県の楯築墳丘墓、山陰地方の四隅突出型墳丘墓が代表例だね。大量の副葬品が見られることもあって、身分差の表れや支配者の存在がいたことを示しているとされるよ。
青銅器は祭祀に使われたね。銅鐸、銅剣なども見られたんだ。

弥生時代の重要な遺跡を見ていこう。
吉野ヶ里遺跡-佐賀県
大環濠集落が見られるよ。深い外堀に囲まれて、頭蓋骨のない人骨も見つかった。
唐古・鍵遺跡-奈良県
吉野ヶ里遺跡に次ぐ大環濠集落
砂沢遺跡-青森県
東日本最古で最北の水田跡が見つかっているよ。
荒神谷遺跡-島根県
銅剣が358本もまとまって出土したらしい…
・垂柳遺跡-青森県
・池上曽根遺-大阪府
・加茂岩倉遺跡-島根県
・登呂遺跡-静岡県
・纏向遺跡-奈良県
のちのヤマト政権につながるものと言われているよ

小国の対立

この頃の日本にはまだ文字がなかったから、日本の状況を知る方法は他国の文字資料を見るしかないんだ。これから出てくるのは今の中国が作った資料だね。
『漢書』地理誌
漢という国の歴史書だね。詳しい中国の国名の変遷は世界史の勉強をしてほしいけど、だいたい紀元前200年から紀元までって思ってくれたら大丈夫。ここには、紀元前1世紀ごろ、「倭人」の国が100余りに分立したと書かれているよ。
『後漢書』東夷伝
後漢だね。新は挟まるけど、大体紀元から200年と思ってもらえばいいかな。ここに書いてあるのは以下のようなこと
・57年 奴国が後漢に「朝賀」して、光武帝が印綬を与える。「漢委奴国王」の金印が出土したね。
107年 倭国王帥升等が生口160人を安帝に献じた

2世紀後半 倭国大乱
③『魏書』東夷伝倭人条
239年 邪馬台国の卑弥呼が帯方郡に遣使。魏から「親魏倭王」の称号と金印を獲得。
248年 卑弥呼没 国内の騒乱を経て、壱与が女王に。

といった感じかな。少し難しかったけど、雰囲気を掴んでくれたら構わないよ。
身分制度もあったそうだ、「大人」「下戸」と別れていたよ。
さて、邪馬台国の所在地が不明なのは知っている?九州説と近畿説があるんだ。

さて、こんな感じかな。歴史が始まったって感じがするね。君は反応がいいから教えていて楽しい…かも。


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