本史くんと学ぶ高校日本史③

今日も来てくれたんだ。熱心だね。
今日は古墳時代だね、どんどん難しいし覚えることも増えて行くけど、頑張ろう。

古墳時代前期

3世紀後半、東日本に前方後方墳、西日本に前方後円墳が出現したよ。この頃の古墳は頂上から埋葬した後土が盛られた竪穴式石室が見られた。粘土槨に囲まれていたんだ。呪術的な副葬品を伴うことが多かったようだよ。
似た形の古墳が多いのは、首長間の同盟関係を意味して、広い域で政治連合形成が行われたことを示しているね。
前期の古墳は、三角縁神獣鏡などが副葬品として一緒に埋葬されるなど、被葬者は司祭者的性格、みたいだね。少し難しい言い方だけど大丈夫かな?
円筒埴輪が多く置かれたね。

古墳時代中期

前期は近畿地方を中心としていた古墳も、中期になると全国的に拡大したよ。他の特徴といえば、前方後円墳が巨大化したことかな。大仙陵古墳-大阪府、誉田御廟山古墳-大阪府、造山古墳-岡山県などだね。副葬品には鉄製武具、馬具などがおさめられて、被葬者は武人的性格が強いと言われているよ。埴輪は人物、動物など形象埴輪が増加したね。

古墳時代後期

後期になってくると、前方後円墳は少なくなってくるんだ。群集墳は急増するよ。そして、墓室は竪穴式石室から横穴式石室になったんだ。これは墳丘の横に入り口があって、いつでも追葬できるようになっているんだ。副葬品は土器などの日常生活具が増加した、つまり有力農民の墓が増加したみたいだね。装飾古墳が増えるなど地域的特色も強くなるよ。

他国との関わり

さて、ここからめちゃくちゃ難しくなるから覚悟してね。まず今の中国の変化を見てみよう。詳しくは世界史の領域だけど、魏、呉、蜀の三国時代が終わった後、280年晋によって統一され、その後東晋が滅ぶと南北朝時代が訪れる。北朝は五胡十六国、南朝は宋、斉、梁、陳と変化するんだ。
朝鮮半島を見てみよう。4世紀ぐらいまで、朝鮮半島には高句麗、馬韓、辰韓、弁韓という四つの国があった。もっとも北部にあった高句麗は、南下政策を続けるんだ。高句麗の広開土王(好太王)碑には、高句麗が倭と交戦したことが書かれているよ。
4世紀の中頃、馬韓から百済が、辰韓から新羅が建国されるよ。百済は高句麗の南下政策に伴って、倭に接近するんだ。石上神宮-奈良県には、百済王世子が倭王に送ったとされる七支刀が置かれているんだ。朝鮮南部の弁韓の位置にできていた伽耶諸国と繋がりを持った倭は、鉄資源を確保することができたんだ。
…難しいね、着いて来れてる?

渡来人


この頃、倭に渡来人が多くやってくるんだ。読み方が難しい語句がたくさんあるね。
・王仁(わに)
百済の博士だよ。西文氏(かわちのふみうじ)の祖なんだ。『論語』と『千字文』をもたらしたとされているよ。この頃から漢字が伝来したんだ。
・阿知使主(あちのおみ)
東漢氏(やまとのあやうじ)の祖だよ。倭王は渡来人を錦織部(にしこりべ)、陶作部(すえつくりべ)などの部に組織し、東漢氏にそれを管理させたんだ。
・弓月君(ゆづきのきみ)
秦氏(はたうじ)の祖だよ。

渡来人は、日本にさまざまな技術をもたらしたよ。
・歴史書の編纂。『帝紀』、『旧辞』を編纂したようなんだ。これは古事記や日本書紀の元になったかもしれないね。
須恵器の副葬が増加した。これまでは赤焼きの土師器だったけど、朝鮮の技術で灰色、硬質の土器が登場したんだ。渡来人を中心とした組織の陶作部が生産したよ。
・百済の五行博士が儒教を伝来したよ。
・仏教が伝来したよ。いつ伝わったかは複数の説があって、『上宮聖徳法王帝説』『元興寺縁起』に基づく538年説、『日本書紀』にある552年説があるよ。

今日はこんなところかな。結構難しくなってきたね。また、明日も来てくれる?




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