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御朱印のきっかけは、友との別れ

今では多くの人がご存知の御朱印。
一時期、「御朱印ガール」などと呼ばれるほど流行になりましたね。
その人気は、いまでは一過性のものではなく、かなりメジャーなものとなっている印象を受けます。
いつブームとなったのか、はっきりとは思い出せませんが、平成25年(西暦2013年)伊勢神宮の式年遷宮の頃には、本当に多くの人が御朱印帳を手にしていたようです。

私もそんなに昔から御朱印のことを知っていたわけでも、集めていたわけでもなく。
平成23年(西暦2011年)4月10日が記念すべきスタート。

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神奈川県鎌倉市の長谷寺。
1冊目の御朱印帳も、ここ長谷寺のものです。
鎌倉への散策に、以前勤めていた会社の先輩と訪れ、

ここから一生、御朱印を集めていく!

と決めました。



きっかけは、友の死。
乳がん。34歳という若さで。


新卒で入社した会社の同期でした。とても可愛らしく、気さくで負けん気の強い彼女は、お互いの地元がとても近く、あったその日から仲良くしてくれました。
私は渋谷、彼女は横浜。
お互い新人がひとりしか配属されないという共通の境遇もあり、きずなを強くしていました。
当時は超就職氷河期ということもあり、残業代なしで長時間働くのは当たり前、楽しみは仕事終わりの飲みの席と、有給休暇の海外旅行。
職場が海外専門の旅行会社だったので、仕事そっちのけで、ふたりで行く旅行の計画を練っては、最安値で予約。
事前の予約は主に彼女が。現地で仕切るのは私。最高の旅のパートナーだったな。
そして冬には同期や後輩も誘ってのスノボ旅。雪道の運転も、あの頃は全然怖くなかったなぁ。若いってすごい。


時給計算して300円台になったこともあり、やりがいだけでは頑張れなくなった私は、その会社を辞め地元の医薬品卸会社に転職。
そんな私を、彼女は旅行に誘ってくれたり、ご飯に行ったりと、たまに会う機会を作ってくれました。
しかし、時間の経過とともに、お互い疎遠に。
しばらくして、彼女も転職。
新しく入社した旅行会社は、元々いた会社からの転向組が多く、とても楽しくお仕事ができていると聞きました。

数年後のある日、また一緒にハワイに行かない?とお誘いのメール。私と一緒に行ったハワイがとても楽しかったから、もう一度行きたいと。
嬉しいお誘いだったけれど、私の転職先、有給休暇が異常に取りにくい環境にあり、連続で休むなんてとんでもない、しかも急にだなんて!という状態。
ごめんね、やすめないんだ
そう連絡し、また疎遠になってしまった...

そして、またその1年後。
初めの会社の共通の知人が、ホームパーティーを開いてくれて、そこで久々の再開。
彼女も、みんなも、あの頃のまま。最高に楽しい!
そこから約1年半、頻繁に会う機会があり、ホームパーティーや旅行と、楽しい時を過ごしました。



ある日、居酒屋で、彼女が「ハワイで挙式する、しかも3週間後に」と発表。
とってもびっくりして、とっても嬉しくて。
「行く、ハワイに結婚式に参加しに絶対行く。会社で白い目で見られても、何が何でも行く!!」

そう彼女に告げると、まさか来てくれると思ってなかった、ぜひ来てほしい、と。
その時一緒に飲んでいた人は、長谷寺に一緒にいったひと。
彼女も1つ返事でハワイ行きを決断。

有給2日と土日を含め、2泊4日の超弾丸結婚式参列ツアー。昔取った杵柄。数日でツアーを予約完了。

その結婚式で行ったハワイは、きっと生涯忘れない。

天候、その場に集ったメンバー、教会もパーティーの雰囲気。事前にドレスを探し回った苦労も、ほとんど観光する暇もない慌ただしさも。何もかもが最高!

そして、最高に幸せそうな彼女はとても美しかった!


その旅から、1年も経たずして。

一緒にハワイの挙式に参加を決めた先輩からの電話は、彼女の訃報でした。

彼女はいなくなった。あまりにも突然に。


私は彼女の病状を、全く知らずにいました。

数年前の検診で見つかった乳がんは、手術できないレベルにまで進行しており、薬物療法でしか対処できないもので。

私以外、仲良く一緒の時間を共有した人たちは、みんな知っていた、という事実も、その電話で知り。


なにがなんだか。

悲しいんだけど、全然意味が飲み込めない。


混乱のまま、翌日の葬儀で、真実を目の当たりにして。

喪失感と、疎外感、そして無力感。

ただ、そこにいる彼女は、心地よく眠っているような穏やかさで。

あたりまえのように葬儀がきれいにセッティングされている事自体、全然納得できなくて。


なぜ納得できないのか、それは、自分だけ、彼女の病気を生前に知らされていなかったから。


『病気ではない自分として付き合ってくれる誰かが欲しかった。その役は、私であって欲しかった』

本当かどうかは、永遠に知り得ないけれど、そう周りの友人から聞きました。

もしそれが彼女の本意ならば。

大成功です、本当に、末期のがんを抱えていたなんて、全く知らずに過ごしていたよ。

きっと苦しくて、痛くて、どうにも隠せないと思ったこともあったでしょう。私はいつもどおりの二人の関係を、最後まで楽しませてもらえたよ。

私との時間が、彼女にとって過ごしやすいものであったのなら、私の悲しみはたいしたことではない。


今思えば、私に対しての最高の思いやりでもあったのだな、と、今このnoteを書いて気づきました。

がんに苦しむ様を目の当たりにしないように、彼女が私だけにくれた特権だったのだと。


だけど当時はやっぱり悲しくて。

しばらく、気持ちを立て直すのに時間がかかりました。

心が弱ると、宗教に走るひとがいますが、あの気持ち、すごくわかります。

拠り所になる大きな力に、引っ張ってもらわないとダメなときってありますよ。

当時、宗教関連の本を読んだり、検索をかけたりしていました。

キリスト教、イスラム教、神道、仏教。

そのとき、御朱印というものを知りました。

参拝の証にいただける、手書きや印の入ったもので、自分の棺に納めたら、生前の信仰心の証明になる、らしい。

生きている間、御朱印をたくさん授かれるように、全国の神社仏閣を訪れて、彼女への哀悼の誠をあらわし、今生きている、私と関わる全てのひとがつつがなく命を全うできるように祈りたい。

そんな目標みたいなものができてから、少し気持ちを立て直せるようになりました。


そんなわけで、御朱印集めは、彼女と仲の良かった、ハワイの挙式も共に参加した先輩と一緒にスタートさせました。


何かの教義に深く入り込む前に、御朱印という、すこしカジュアルなやり方に出会えたのはある意味救いだったと思います。


御朱印はスタンプカードじゃない!という、よく見聞きする巷の意見はもちろんごもっともなのです。

しかし、心に影が差したとき、御朱印を集めることが目的となったとしても、神社仏閣に赴き、神や仏の見えない力にお助けいただく、その行為は決して間違ったものではないと信じています。


ここ数年で、40歳を過ぎてやっと本気で叶えたい夢ができ、最近の参拝ではめっきり自分本意のお願いばかりになりがちに。

欲を素直に表明できることは、自分を表現するのが苦手な私としては幸せな一歩なのだと思うけれど、やはり初心に立ち返るべきかと。


彼女と、私と関わるすべての人のために祈ることもおろそかにしないよう、これからも御朱印をたくさん集めていきたいです。





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