治験日記②

ここで躓いていては全くなんの意味もないが、前日の日記にあったように毎日のスケジュールはほぼ代わり映えがなく、せいぜい採血の量が増えるくらいで入院治験に関して特筆するようなことはもう殆どない。
あとはひたすら漫画を読むか、ゲームをするか、スマホをいじるかの大体3つの選択肢の中から適宜自分を慰める方法を選び、退院を待つだけだろう。
全くためにならない一口アドバイスとしては、血圧が上がることを予想して、血沸き肉踊るような復讐劇が描かれた漫画、映画は避けたほうが無難かもしれない。
したがって、ここから先は入院中の所感、雑感を書いていければと思う。

愉快なメンバー

ここで愉快なメンバーを紹介したい。
今回の入院治験に参加している、同じ釜の飯を食い、大浴場で裸を見せあった仲間たちである。
しかし名札を見る機会がなく、また視力も悪いため読み取れず、参加メンバーの名前を誰一人として知らない。

我々は所詮新薬の被検体であるのだし、可能な限り個としての概念を捨て、あくまで実験体として適当な数字とアルファベットで呼称するのが雰囲気も付与されて面白そうだが、自虐の目線も他人に及んでは良心が痛むため、単純にAから数えて紹介していきたい。

Aさん
私の左隣のベッドを割り当てられた男性。
誰よりも早く食堂に居ておおよそ5分程度で食べ終わる。七つの大罪に準え、グラトニー(暴食)と呼んでもいいかもしれない。

Bさん
入り口を挟んで私の右隣の男性。
すれ違う際に必ずはにかみながら会釈をしてくれるため、お人好しと思われる。
洗面台で歯を磨くタイミングがいつも被ってしまいなんとなく気まずい。
クリニカの使用を確認済み。

Cさん
この中でおそらく一番若いと思われる男性。
漫画部屋を根城にしており、食べるのが一番遅い。私もかなり遅い方だがそれより遅い。
毎回肘をついて食事をするため品性に欠ける部分がある。

Dさん
高身長で同年齢くらいと思われる男性。
食事の前に必ず手を洗っていて偉いが、身長だけで印象が薄い。
この男性とのちに意外な形で繋がる事になる。

以上である。
この5日間ほどで主に食事に関する情報ばかりが列挙されている事を鑑みる、どれだけ希薄な関係性であるかが読み取れるだろう。
産業スパイの潜入捜査でなくて本当によかったと思う。
元々参加者は私を含め7人いたが、その内2名は参加者に不備があった際の予備役としての招集で、2日目に我々の投与が済んだ後、昼食だけ食べて帰っていった。
一言二言くらいを会話を交わしたいものだし、娯楽室にあるボードゲームを全員で遊ぶことが出来ればこの治験の本懐を遂げたと言えそうだが、カタンもブロックスも人生ゲームも触れられることすらなく寂しく積まれ、傍らの漫画棚と明暗を分けるばかりであった。

階段横の肖像画

ベッド ルームには飲食物は持ち込めない。
食べ物については朝昼晩の3食以外口にすることは許されず、飲み物もウォーターサーバーの水か、食堂の麦茶しか飲むことができないため、喉が乾けば廊下のウォーターサーバーまで行って飲み干してからから戻らねばならない。
ベッドで横になりながらチビチビやるような怠惰な生活態度は改めろと言う訳である。
そのため毎朝パサパサに乾いた口を潤しに廊下へ出て水を汲みに行くのであるが、この階の廊下には誰とも知れぬ女性の肖像画が飾ってあり、必然的に朝一番に合わせる顔として、心の中でおはよう、と爽やかに挨拶を投げかけている。
しかし肖像画に描かれたのその女性はなんとも景気の悪い顔をしており、喜怒哀楽でいうところのどれにも当てはめづらいがどちらかと言えばうーん、哀。というような表情で毎朝出迎えてくれるため、こちらとしてはもっと笑っていただきたく心の中ではあるものの挨拶をするが、もちろん絵なのでなしのつぶて。紙コップに入った冷たい水を腰に手をやりグイッと一杯流し込んだ後には辛気臭さだけが残り、爽やかな朝にほんの一滴の墨汁を垂らされたような面持ちでベッドへ戻る事になる。と、そういう絵なのだ。

おそらくだが院内の絵画が趣味の誰かが描いたものではないかと思わせる筆致で、これもおそらくモデルがおり、今回の先生、医師によく似ている。気がする。
真実のほどは定かではないが、胸まである髪、前髪の量、ストレートネック気味の首。かなりの範囲で一致する。
もしそうであればこの憂いの塊とでもいうべき表情についてはどうだろうか。
小首を傾げて長い髪を垂らし、大体4時の方向へ目を逸らして決して視線を合わせず顔に影を落とす様は、「患者にそんな顔をするんじゃねえ」と一言物申したくなるような顔であり、手術室から出てきた直後にこんな表情をされた日には親族一同その白衣にしがみ付き、縋る気持ちで見上げた顔を絶望へと誘うことだろう。
逆にこんな顔で「成功です。」と言われても一発くらいはくれてやりたいものである。
いずれにしても病院に飾る肖像画としてはいささか辛気臭く、昭和の文豪の方がまだ活気がありそうだ。

とはいえ全ては予想であるし、全然関係ない人が描いた全然関係ない辛気臭い人かもしれないし、作者は今頃日展の常連かもしれないので、明日からも欠かさず挨拶だけはしてみようと思う。

同室患者とマッチング

友人間ではいまさらな話題かもしれないが、私はポルノに依存気味である。
1日に2回も3回も手淫することがあるし、同性愛者というセクシャリティの特性か、その辺の異性愛者の男性よりもセックスに対するハードルが低く、非常に簡単に性交渉に持ち込めるため、日に2人も3人も身体を重ねたこともあった。
そんな性欲のせいなのかはたまた別の要因か、本当に好きになった相手とは中々うまくいかないという悩みも抱えているが、今回それは横に置いておこう。

とはいえ昔に比べれば幾分マシになったもので、今回の治験でも採尿で尿蛋白が検出されないよう、この1週間ほどで1度しか自慰はしていないし、また苦痛も感じていない。
極めて一般的か、あるいは性欲が薄い方に分類される頻度だろう。
しかしてそこはポルノ依存。毎日毎日頭の片隅には、「なんかエロいことねえかなあ」と中学生のような欲求を腐らせ、エロいハプニングが来たらいつでも対応可能な状態にして生活している。
それは家の中にいようが外にいようが同じで、「かわいい子が突然やむなく泥棒に入ってこねえかなあ」とか「水道業者のお兄さんゲイじゃねえかなあ」など、書いていて情けなくなるようなことを日々考えている。
男なんてそんなものなのかも知れないが、私は毎日毎日エロハプニングを望んでいるため、その念が強いのか、割とエロハプニングには恵まれてきた方だと思っている。

この入院期間中もそれは健在で、脳のどこかの片隅では、「職員でも患者でもいいからなんか起きないもんかねえひひ」とどこかで期待していたが、集まった被験者に同性愛者がいるとは思えなかった。
しかし朝水を飲んだすぐ後、iPhoneの通知が光る。
マッチングアプリからの新着メッセージで、それ自体は珍しくないのだが、
「同じビルじゃないですか?」
と届いたのである。
私はこういうことがよくある。バイト先でも職場でも電車の中でもホテルでも、いつも気付けば傍には同性愛者がいる。
今は治験で入院しているため、会えないことを伝えると、「僕も同じ治験受けてます」と返信がきて、同室の誰かであることが確定した。
パチンコをしたことはないが、これは確定演出というものではないだろうか。
プロフィールに書かれてある身長、雰囲気がわかる写真とを照合すると、それはあの、手を洗う以外に全く印象に残らないDさんであった。

Dさんは何やらこの生活に悶々としたものを抱えているらしく、よかったら軽くどうですか、という旨のメッセージを寄越した。
この軽くどうですか、というのは「食堂で麦茶でも一杯どうですか」という意味ではないように聞こえる。
しかしここは病院であり、そのような行為のために用意されたベッドではないし、バレるバレない以前に大胆すぎて恐ろしい。
平時とは全く逆の大胆さであるが、さすがにこの申し出は受け入れられず、そっとブロックしておいた。
カフェインもポルノも、この入院期間中に接種の頻度を見直すべきだろう。

かくして何事もなく夜になったわけだが、Dさんとも朝昼晩と食堂では顔を合わせ、会話もなく黙々と食事をするのみであり、視線が交わるようなこともなく現在にいたる。
明日以降、もし大浴場の脱衣所が被った暁には、サービスとばかりにゆっくり脱衣してみるのはどうだろうか。
大浴場で大欲情という愚にもつかない結果が待っているかもしれない。








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