治験日記①

時間を持て余している。
要は暇である。
無職の身の上を利用し、私は今回入院型の治験に参加していて、すでに入院してから4日目の夜になるが、漫画にもゲームにも飽き飽きし、誰に要請された訳でもなく「カーボンニュートラル」について調べ地球温暖化ついての見識を少しばかり深めてしまうほど、というと持て余しの程をわかってもらえるかもしれない。

採血やら血圧測定やら医師の診察などはあるものの、それも朝一番に一回ずつあるだけで、それ以外は特に取り立てて面白いような事件もなくベッドシーツに汗じみを作るばかりで、日に三回の食事が一番の楽しみとなるのも致し方ないと言えるだろう。

今回治験に参加する前に、友人N君に治験参加の旨をLINEで報告したところ
「昭和のルポライターみたいなことするね。」
と個人的には予想外な返信が来たことにより完全にその気になり、ルポルタージュのつもりで文字を打っている次第である。
あんまり長々と書き進めても読んでもらえないだろうと思うので、だいたい1週間のうちの1日目〜今日までをまとめて、そして今日から残りの4日間は毎日日記の要領で進めていきたい。努力目標として。

治験ってなあに

そもそも皆さん治験はご存知だろうか。
まあ大体知っていると思うが簡単に言うと
”日本で承認される前の薬を、販売前にボランティアの被検体を使って本当に危険がないか試しちゃおう!”
というようなものである。
本当に簡単に言ったのでかなり怪しく、闇バイト感満載であるが、おおよそ間違っていないだろう。

むしろそれとなく闇っぽいのは、ボランティアなのにお金を貰えるというところにある。
承認される前の薬を使うわけだから当然安全が保証されているわけでもないし、少数ではあるが副作用が出ることもあれば、過去には死亡事例もある。
それだけの危険を鑑みて、基本的には各治験ごとに設定された”負担軽減費”というものがもらえる。
あくまで”報酬”ではなく、治験に参加することでかかる経費や負担を工面しますよーという名目で貰えるものなのだが、それがかなり高額なのだ。
報酬でいいじゃん、てか報酬じゃん。と思うがそれでは駄目らしい。
こういう言葉や制度の不完全さをついたハック的思考に結構モヤっとしてしまうタチで、実態とは違った金銭のやり取りを許す態度が献金だの裏金を生む政治に繋がるんじゃないのか!みたいな完全に飛躍した思考に火が付いたのも束の間、その負担軽減費の高額っぷりに私の目はチャリンと音をたてて¥マークになるのである。

参加前の事前検診

そんな高額な報酬(負担軽減費)を貰える治験ボランティアだが、誰でも参加できるわけではない。
治験薬が身体でどのように代謝されるかを見る、薬物動態という検査が主らしく、健康体でないと正常な数値が出ないため、かなりの健康体でないと参加できないというのだ。
まあ大丈夫だろうと何も考えず事前検診を受けたものの、その通過率は4割程度で、想定外の狭き門であったのだ。
私の悪い癖で、さっさと調べておけばいいものを何でもかんでもあと回しにしてしまうため、事前検診当日に”事前検診前一週間の心得”というもはや無用の長物を読み、検査に通りやすい食生活や運動習慣、その通過率の低さに顔に縦線が入り気持ちが沈み、目の¥マークもベトナムドンくらいには変化したかと思われる。

検査自体はごく普通の健康診断で、1週間後に届く結果を持って、採用不採用が決まるらしい。
私は高額報酬に目が眩み、無職の分際で4万くらいの靴だかメガネだか、もしくはどっちも買ってやろうかそれとも旅行してやろうかと目論んでいたが、これでは取らぬタヌキの皮算用である。
この慣用句は、ボケる前のおばあちゃんがよく使っていたもので
「せーくん、それは取らぬタヌキの皮算用っちゅうもんやでえ。」と怪しく銀歯を光らせて忠告をしてくれたものだった。
この皮算用を、いかなる計算式よりも優先して用いる大人になってしまった今、非常に優れた慣用句であることをしみじみ実感する。

副作用

私は会社の健康診断で毎回赤血球、ヘモグロビンの数値がかなり高く出るようで、再検査、しかもA〜Fで言うところのFというお墨付きをいただくため、今回の治験は諦めていた。
しかし1週間後、届いた知らせは採用通知であった。
もちろん嬉しかったが、一つ気がかかりがある。
副作用の存在である。
薬の詳細はあまり書けないため副作用の一例を書くが、事前に説明を受けた副作用一覧のなかに驚愕の文言が記されていた。

「歯の脱落」

突然歯が抜けたりしたら、生きる気力の大半を失う自身がある。
馬鹿らしいじゃないか。金に目が眩み、受けたボランティアでモルモットにされた挙げ句歯が抜けるなんてあんまりだ。
歯が抜けて文句も言えない我が身の不運と身の振り方を呪うだろう。
その悔しさに唇を噛み締めるが歯茎の柔らかさに泣くかもしれない。
どれだけお金があっても二度と生えてこない歯は、何者にも変え難い友なのだ。大切な存在は概して近くにあるのだから。
と、本当にかなり悩んだが、投薬前に医師の話を聞いてすぐ辞めることもできるようなので、とりあえず1日だけ行ってみることにした。(1日の入院でもお金が貰えるので)

入院当日

当日は事前検診を受けた病院に朝から集合し、オリエンテーションを受けた後、そのまま入院となる。
治験のイメージとして30人くらいの人数が集まるものかと思っていたが、たった7人。少ない…。
赤信号はできれば大人数で渡りたいと思っていた私は、その決して健康とは言えなそうな他6人の面子をみて心細くなってしまった。

オリエンテーションで渡された書類の中に相変わらず副作用として「歯の脱落」が堂々と書かれてあるが、医師の話によると、今回の治験は先行してすでに数度行われており、懸念された副作用は一度も確認されていないという説明であった。
ほんまかいなと思いつつ少し安心する。
生活に必要なものはほとんど揃っており、自分で用意するのはスキンケアと着替え、1週間の入院に耐えうる暇つぶしくらいのもので、それ以外はなんと充実していることか、漫画部屋から映画部屋、PC、果てはボードゲームまであり、同室の被験者とうっかり仲良くなる可能性まで考慮されている。

入院当日は前回の検診結果と大きな差異はないか、投薬をしても問題ない身体かを調べるため、またしても健康診断が行われ、場合によってはここで弾かれ明日には、はい、退院。と不健康の烙印をおされた上に退院という、通常とは全く逆のプロセスを経て病院を去ることになる。
それでも負担軽減費は貰えるようだが、スケジュールをすべてこなした金額には到底及ばない。
飯だけ食って帰るのもありだが、入院3日前には食事、運動を制限し、抜かりなく検診に備えておいた。すぐ退院ももったいない。
もうすでに身も心も立派な被験体A。ドブ川で捕まえたザリガニでも、真水で3日も飼えば泥が抜けて美味しくいただけるものである。

ご飯がおいしい

副作用の心配はそれほどしなくても良さそうだということがわかり、私はもうすっかりこの治験を受ける気になり、退院したら食べたいもの、買いたいものをリストアップし始めた。得意の皮算用である。
ベッドで入院着に着替えてスマホを見ているとあっという間に昼食の時間になり食堂に行くと、すでに配膳された食事はかなりしっかりしていて、主菜の他に副菜2品と食後のデザートまでついている。
本当は逐一写真に撮って残しておこうと企んでいたが、調子に乗ってパシャパシャやりだすのもいかにも非常識に思われて、ひとまずiPhoneは片隅に置いた。
途端に看護師の方から院内一切撮影禁止の説明を受けて、辱めを回避することができてめずらしく良い判断だった。
最初の昼食は多分赤魚の西京焼きにおひたしとか、大体そんな内容だったかと思う。
ちょうど良い塩梅とはまさにこの事では…というほど過不足ない味付けで、思わずニヤリ…と口角を上げてしまった。
予想外に美味しいものを食べるとニヤけてしまう体質なのだ。これは翌日の昼食まで続く。
食べ終わったあとは夕食まで自由時間で漫画部屋のラインナップを確認。
ジャンプ系少年漫画はだいたい揃っているし、漫画版風の谷のナウシカまであって、腐海の中で自然を愛するナウシカから学びを得るのも、退屈しのぎには贅沢なくらいだろう。
1日目は漫画を読むだけですぐ夕食、入浴と過ぎていき、あっという間に消灯。翌日の投与に備えてしっかり眠るのが吉。

試験薬投与

2日目は6時に起床。普段ならとても人間の起きる時間じゃないなと感じている時間だが早寝の成果もありすんなり目覚めることができ、いまから被検体になるとは思えない清々しい朝を迎えた。このままますます病院のベッドとは不釣り合いな健康体になりそうな予感すら覚える。

そのまま心電図だの血圧だのを測った後採血と続き、投与前の最終確認。
前日の検診結果は赤血球がちょっと多かったくらいで特に問題がなかったということ、今回の薬は副作用がほとんど確認されていないと説明を受ける。
投与は受ける旨を伝えたが、医師に体調はどうですかと問われ、朝起きてから時間を追うごとに増していく違和感を伝えようか、見なかったことにしようか迷っていた。
ちょっと頭が痛いのである。
前日に漫画を読みすぎて目を酷使したのか、毎日疲れてもないのに飲んでいるコーヒーを丸2日飲んでいないためのカフェイン切れか、とにかく左目の奥が疼く。
いつもなら頭痛薬で対処するが、治験参加中は基本的に市販薬の接種は禁止されていて、薬でごまかすことは許されない。カフェイン含有製品も取れない。
少年マンガの世界であれば、新しい能力開花の兆し、第三の眼が開眼する可能性を秘めるが、むしろ前日の少年マンガ「チェンソーマン」全巻読破が頭痛の原因であることに全BETするのが最も安牌だろう。

しかし薬に影響すれば困るので素直に、頭が痛いです…と伝えると「えっ!」と、しっかり感嘆符のついた一声を発し、終いには「それはちょっと…」という反応になり始め、「でもほんとに少しなんです!」とこちらも感嘆符で対抗してはみたが、多少食い気味に「でもこれは健康な人が対象の試験ですからねえ…」とため息交じりに頬杖をつき、何やら書類に書き込まれてしまう。
自分に関係のない薬なんて正直打ちたくもなんともないが、覚悟を決めて打つ気満々の気持ちを焦らされているようで、大金を人質に治験薬投与に向けて走るメロスの如き気分と言うと言い過ぎだろうとは思うが、それでも医師は邪智暴虐な王に見える。除かねばならないかも知れない。

しばらく押し問答が続いたあと
「普段頭痛はどのくらいの頻度ですか?」
と態度を軟化させたため、2ヶ月に一回くらいであること、昨夜は漫画を読みすぎた事など説明した。
2ヶ月に一回くらいであれば健常と言えそうだが、最終的にはこちらの判断に委ねるという事だったので、私は問題ないですと被検体になることを高らかに宣言した。
その後無事(?)治験薬は投与され、今に至る。
この投与直前のやり取りは、私を非常にアンビバレントな気持ちにさせた。
脳内は打ちたいと打ちたくないの狭間で反復横跳びをし、口では問題ないと言うが頭では多少なりとも不安があった。
アンビバレントかあ、ああいう気持ちをアンビバレントというのだろうなあ、と今でも思い返すことが出来る。

投与後〜今日まで

その後も頭痛は続き、翌日の就寝前まで引っ張ってしまい、正直何もやる気が起きなかった。
とはいえあまりに退屈であるためこめかみを抑えながら懲りずにベルセルクなど読んでしまい、より目の奥を痛めた結果となったが、また一つ名作を知る事が出来て良かったと思っている。
入院日から数えて今日で4日目。大体折り返し地点にいる。
本来は入院日から日記を書くつもりでいたが、頭痛のせいで両手はこめかみと漫画でふさがり、今日まで延びてしまったのだった。
入院生活は正直代わり映えせず、大まかな流れは大体一緒であるため、治験体験記としては細かい所感を交えるくらいに留まりそうだが、珍しく自分に課した事でもあるし、退院までは続けてみようと思う。努力目標として。



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