アリバイトリック、十一番目のパターン


 有栖川有栖氏の傑作『マジックミラー』で語られる有名なアリバイ講義では、アリバイトリックが九つのパターンに分類されています。有栖川氏は講談社ノベルス版のあとがきで、さらに「手順の盲点」という十番目のパターンも提案されています。
 この「アリバイ講義」を何十回となく読み返すうちに、「こういうパターンもあるのでは?」と思うようになったので、それを十一番目のパターンとして提案させていただきたいと思います。

 アリバイトリックの十一番目のパターンは、「犯行時刻に犯行現場から離れた場所で生じた出来事を犯人が見聞きしたと思わせる場合」です。
 これだけではわかりにくいと思いますので、私の考えた具体例を挙げて説明します。
 事件が起き、捜査の結果、一人の容疑者が浮かび上がります。犯行時刻のアリバイを問われた容疑者は、「××公園にいました」と答えます。
「××公園にいたことを証明してくれる人はいますか?」
 捜査員に問われた容疑者は、「一人でいたので……」と困った顔になりますが、不意に顔を輝かせます。
「――そうだ。思い出しましたよ。公園のすぐ隣の家から夫婦喧嘩の声が聞こえてきました」
「夫婦喧嘩?」
「夫の方が浮気したらしくて、妻がなじっていましたね」
 捜査員が調べてみると、問題の時刻、確かに公園のすぐ隣の家で夫婦喧嘩をしていたことがわかります。それを見聞きしたということは、容疑者は問題の時刻、確かに××公園にいたということになり、アリバイが成立します。
 この容疑者は本当は犯人であり、提示したアリバイは偽物でした。つまり、彼は公園にいることなく、夫婦喧嘩という出来事を知ったわけですが、その方法として以下の二つが考えられます。

ⓐ出来事をあとで/リアルタイムで知った場合
 犯人は公園のあちこちに何台ものICレコーダーを設置しておき、犯行時刻における公園周辺の音声を録音しておいた。犯行後、ICレコーダーを回収して再生すると、一台に夫婦喧嘩の音声が入っていた。そこで、訪ねてきた捜査員に、公園のすぐ隣の家から夫婦喧嘩の声が聞こえてきたと述べ、犯行時刻、自分が公園にいたように思わせた。問題のICレコーダーの設置場所のそばの家を、夫婦喧嘩の声が聞こえてきた家だと述べた。
 たまたま夫婦喧嘩の音声が入っていたので、犯人はそれを見聞きしたことにしたが、もし別の音声が入っていたら、別の出来事を見聞きしたことにするつもりだった。何台ものICレコーダーを設置しておいたので、どれか一台は必ず音声を拾っているはず。
 あるいは、犯人が公園の周囲の家についてあらかじめリサーチし、夫婦喧嘩をよくする家があることを知り、その家に盗聴器を仕掛けておくという方法も考えられる。その家で夫婦喧嘩が始まったら、犯人は急遽、犯行現場に赴いて犯行に及ぶわけである。

ⓑ出来事を生じさせた場合
 犯人は公園の周囲の家についてあらかじめリサーチし、夫婦喧嘩をよくする家があることを知った。喧嘩の原因を探ると、夫の浮気らしい。そこで、犯行時刻の直前に犯行現場からその家に電話し(電話番号はあらかじめ調べておいた)、妻が出ると、「ご主人がまた浮気していますよ」と言い、夫婦喧嘩を誘発したうえで、現場で犯行に及んだ。そして、訪ねてきた捜査員に、公園のすぐ隣の家から夫婦喧嘩の声が聞こえてきたと述べ、犯行時刻、自分が公園にいたように思わせた。
 犯人は夫も妻も在宅している時刻をあらかじめ調べておき、その時間帯を犯行時刻に選んだ。また、彼らの夫婦喧嘩が外に聞こえるほど激しいものであることもあらかじめ調べていた。

 上記の例でお分かりのように、「犯行時刻に犯行現場から離れた場所で生じた出来事を犯人が見聞きしたと思わせる場合」は、それにより、犯人が犯行時刻に犯行現場から離れた場所にいたと思わせ、アリバイを成立させるパターンです。
 このパターンは、上記のように、「ⓐ出来事をあとで/リアルタイムで知った場合」と「ⓑ出来事を生じさせた場合」に分けることができます。
 ⓐは、主に機械的な手段(ICレコーダー、テープレコーダー、CCDカメラ、盗聴器など)を用いて、出来事についての情報を記録しあとで再生、またはリアルタイムで受信することにより、犯人がその出来事を知るというもの。
 ⓑは、出来事を知るのではなく、犯人が自分から出来事を生じさせるというもの。この場合、犯人が生じさせようとした出来事と、実際に生じた出来事のあいだに乖離が生じないように注意する必要があります。
 この十一番目のパターンは、作例はさほど多くありません。おそらく、犯人が「××を見聞きしました」とアリバイを主張した瞬間に、「見聞き」という点からこのパターンだと特定されやすいという欠点があるためでしょう。また、アリバイとしての強度があまりないので、他のトリックと組み合わせて用いられることが多いようです。
 このパターンは「ⓐ出来事をあとで/リアルタイムで知った場合」と「ⓑ出来事を生じさせた場合」に分けられると述べましたが、どちらにも当てはまらない特殊な例もあります。
『マジックミラー』の「アリバイ講義」では、九番目のパターンとして「アリバイがない場合」が挙げられており、有栖川氏は笹沢左保氏のある作品を想定されています。私見では、この作品は、十一番目のパターン「犯行時刻に犯行現場から離れた場所で生じた出来事を犯人が見聞きしたと思わせる場合」の特殊な例と見なすこともできると思います。この作品では、上記のⓐともⓑとも異なる、極めてユニークで綱渡り的な方法が用いられているのです。