法月綸太郎さんの「心理的瑕疵あり」に挑戦

  法月綸太郎さんが、東京創元社の雑誌『ミステリーズ!』名物の懸賞付き犯人当て小説企画で、「心理的瑕疵あり」という作品を書かれました。法月ファンのはしくれとして、挑戦しないわけにはいきません。『ミステリーズ!』vol.100掲載の問題編を熟読して推理してみました。
 真相を見抜けたような気がしたので、vol.101をいただくとすぐに解答編に目を通したのですが……犯人の正体も、メインの謎も、見事に答えを外していました。
 その外しっぷりを楽しんでいただくために、私の迷推理を披露させていただくことにしました。ネタばらしはいっさいしていません。言及されるページ数は、『ミステリーズ!』vol.100のものです(2021.2.23追記:本作は犯人当て小説アンソロジー『あなたも名探偵』(東京創元社)に収録されたので、同書でのページ数を、『ミステリーズ!』でのページ数のあとに太字で記しています)

 犯人は誰かを別にすれば、本作の最大の謎は、「犯人はなぜ、現場のエアコンのフィルターを持ち去ったのか?」でしょう。
 この謎は、「犯人はなぜ、被害者の帽子を持ち去ったのか?」(『ローマ帽子の謎』)や「犯人はなぜ、被害者の服を持ち去ったのか?」(『スペイン岬の謎』)といった、「現場から何かが持ち去られている」というエラリー・クイーンお得意の謎を彷彿とさせ、クイーンマニアである法月さんの面目躍如たるものがあります。
 やはり、この謎を重点的に追求するべきだろう、と私は考えました。犯人はなぜ、現場のエアコンのフィルターを持ち去ったのか? フィルターに何か付着していて、警察がそれを入手するのを避けたかったのか。フィルターに付着するものといえば埃だが、なぜそれを警察に入手させたくなかったのか。埃から犯人が特定されるとは思えません。
 いくら考えてもわかりませんでした。こういうときは、発想を逆転させてみるのが有効です。フィルターを持ち去ったのは、フィルターに何か付着していたからではなく、何も付着していなかったからだ、と考えてみることにしました。何も付着していないことを隠すためにフィルターを持ち去ったというわけです。
 より詳しく言えば、フィルターを持ち去ったのは、そこに埃がまったく溜まっていないことを隠すためだ、と考えてみることにしました。
 フィルターに埃がまったく溜まっていないとはどういうことでしょうか。事件が起きたのは九月八日の夜から九日未明にかけて。暑い夏を過ごしたから、〈コーポ椿〉の現場の部屋に住んでいた被害者の松岡招吉はエアコンを稼働させたはずで、当然、フィルターには埃が溜まっているはずです。それなのに埃が溜まっていないとはどういうことか。掃除したのでしょうか。しかし、まだ九月初旬で、暑さはもう少し続くのに、フィルターを掃除するのは早すぎます。
 とすれば、考えられることはただひとつ。フィルターに埃が溜まっていなかったのは、夏のあいだ、エアコンがまったく稼働しなかったからです。エアコンを稼働させずに暑い夏を乗り切れるわけはありませんから、松岡はその部屋で暮らしていなかったということになります。犯人は、その事実を警察に知られるのを避けるために、埃がまったく溜まっていないフィルターを持ち去ったのです。
 松岡のスマホと仕事用のノートパソコンが行方不明(P41, P273)とありますが、スマホもノートパソコンも初めからその部屋にはなかったのです。
 読み返してみると、松岡が〈コーポ椿〉で暮らしていなかったことを裏付ける(と思われる)記述がいくつか見つかりました。

「知り合いのよしみで取材を申し込んだ。それがひと月半ほど前で、その時は二つ返事でOKしてくれたんですが、いよいよお宅訪問という段になってドタキャンされまして」(P36, P263
「このアパートの写真(筆者註・ネットに連載された松岡の記事で使われた写真)、実際の現場と違いますね」(P40, P271
「特に〈コーポ椿〉に引っ越してからは、仕事関係の知人・友人にも新住所を隠していたそうです」(P44, P279

 飯田才蔵が松岡のお宅訪問をドタキャンされたのは、その時点で、松岡が〈コーポ椿〉に住んでいなかったからです。正確に言えば、少なくともひと月半ほど前までは住んでいて(大学のマスコミ研究会の後輩に引っ越しの手伝いをさせた(P44, P279)のだから、松岡が〈コーポ椿〉に引っ越したことは確かです)、そのときはお宅訪問をOKした。しかしその後、住むのをやめ、別の場所に移った。だから、お宅訪問をドタキャンしたのでしょう。
 アパートの写真が実際とは違うのは、実際にはそこに住んでいなかったからです。〈コーポ椿〉の実際の写真を出したら、それを見た友人知人が訪ねてくるかもしれず、そうしたらそこに住んでいないことがばれてしまいます。「仕事関係の知人・友人にも新住所を隠していた」のも同じ理由です。
〈コーポ椿〉は空き部屋が多いと書かれています(P47, P284)。空き部屋が多い、つまり住人が少ないということですから、事件後、警察が住人に訊き込みしたとき、松岡が実際には住んでいなかったこともばれなかったのでしょう。
 では、松岡はなぜ、〈コーポ椿〉に住むのをやめたのでしょうか。松岡は以前、ギャンブル必勝法をうたう情報商材を検証する記事を書いて、たちの悪い業者とトラブルになったことがありますが(P43, P277)、その業者が松岡の新住所を突き止めて嫌がらせをしてきたので、それを避けたかったのでしょう。
 次に考えるべきなのは、松岡は本当はどこに住んでいたのかということです。
 先ほど述べたように、犯人がフィルターを持ち去ったのは、松岡が〈コーポ椿〉に住んでいなかったことを隠すためです。言い方を変えれば、犯人は、松岡が本当は別の場所に住んでいたことを知られたくなかったということになります。
 なぜ、知られたくなかったのか。それは、松岡が本当に住んでいたのは犯人の自宅だったからとしか考えられません。
 これは、犯人を特定するうえで大きな手がかりになると思いました。
 作中で犯人候補として考えられているのは、イケメン競馬騎手の安堂宙也、まちづくりNPOで運営委員を務め、スピリチュアル気質の持ち主でもある胡桃沢咲苗、認知症の父親を介護している引きこもりの鶴見亮の三人です。作中では犯人候補と見なされていませんが、松岡の元妻の柚木峰代も犯人候補に含めておきましょう。
 では、この四人の中で、松岡を自宅に住まわせることができたのは誰でしょうか。
 柚木峰代は、松岡とのあいだに生まれた五歳の娘と一緒に暮らしています。もし松岡が柚木峰代のマンションにこっそりと住んでいたら、娘は必ず気がつきますから、きっと大喜びで「パパとまた一緒に暮らしてるんだよ」と周囲に触れて回り、すぐにばれていたでしょう。柚木峰代は消去されます。
 胡桃沢咲苗には夫がおり、おそらく一緒に暮らしていると思われます(別居しているならはっきりとそう書いてあるはずで、そうした記述がない以上、一緒に暮らしていると考えていいでしょう)。とすれば、自宅に松岡をこっそりと住まわせるのは無理でしょう。胡桃沢咲苗も消去されます。
 残るは二人、安堂宙也と鶴見亮です。
 安堂宙也は独身なので(結婚しているならはっきりとそう書いてあるはずですし、「デビュー当時からイケメン騎手として女性ファンの注目を浴び」(P48, P286)といった辺りで、妻のことが書かれていると思います)、松岡を自宅に住まわせてもばれません。
 鶴見亮は父親と暮らしていますが、父親は認知症にかかっており、自宅に松岡をこっそりと住まわせてもわからない可能性が高い。また、鶴見亮は「つい最近まで引きこもり同然の状態」「前よりは外に出るようになったというんだが、今でも人と会うのは苦手なようだ」(P50, P290)とあることから、近所と没交渉で、住人が一人増えても近所の人間は気がつかないでしょう。
 自宅に松岡を住まわせていた――という条件だけでは、犯人をこの二人のどちらかに絞れそうにありません。別の角度から攻める必要があります。
 別の角度――それは、事件当日の夜、犯人が松岡を新宿に呼び出し、そのあいだに〈コーポ椿〉の部屋を捜索したという点です。
 警察の調べによると、松岡はその夜、新宿でタクシーを拾い、午後十時七分に〈コーポ椿〉に入りました(私の推理では、松岡は〈コーポ椿〉に住んでいなかったので、〈コーポ椿〉に「帰宅した」とは表現しません)。
 このときのタクシー運転手の目に映った松岡の印象は、「待ち合わせの相手にすっぽかされて頭に来ていたような感じ」(P43, P276)だったといいます。
 これについて綸太郎は「犯人におびき出されたということですか?」と問い、久能警部が「たぶん逆でしょう。外で会うよう仕向けたのは松岡の方で、犯人はそれを逆手に取って現場に先回りした」と応じていますが、私はやはり、綸太郎が言うように、松岡は犯人に新宿におびき出されたのだと思います。
 犯行後、犯人が現場にとどまった時間が長すぎることから、警察は、犯人が松岡の隠していた恐喝のネタを現場で探していたのだと考えました。私も、この見解には同意します。犯人は、松岡の隠していた恐喝のネタを現場で探すために、松岡を新宿におびき出したのです。
 しかしそうすると、疑問が生じます。先ほど推理したように、松岡は犯人の自宅に住んでいました。松岡は〈コーポ椿〉の部屋にいないのだから、犯人はそこに隠されている恐喝のネタを探すために松岡をおびき出す必要はないはずです。なぜ、松岡をおびき出したのでしょうか。
 考えられることはただひとつ。松岡が四六時中、犯人と一緒だったからです。犯人は松岡にいつも見られているような状態だったので、松岡が〈コーポ椿〉に隠した恐喝のネタを探しに行くことができなかったのです。そこで、犯人は松岡を新宿におびき出し、そのあいだに〈コーポ椿〉に向かうことにした。
〈コーポ椿〉はわかりにくい場所にありますが、犯人は同居している松岡から場所を詳しく聞いていたので、その晩、ぶっつけ本番で〈コーポ椿〉に行った。だから、それ以前、日中に下見をしたりはせず、〈コーポ椿〉の隣家の監視カメラに映ることもなかった。〈コーポ椿〉の部屋の鍵は、松岡からこっそりと盗み取っていたのだと思います。
 松岡をおびき出したのは、松岡が四六時中、犯人と一緒だったから――新たに得られたこの条件を手にして、二人の容疑者、安堂宙也と鶴見亮を検討してみましょう。
 松岡が安堂の自宅にこっそり住んでいたとしても、安堂が騎手の仕事に出かけるときは、松岡は人目につくのを恐れて安堂の自宅にとどまったはずです。だから、安堂は仕事で出かけているあいだに、〈コーポ椿〉の部屋を捜索することができたでしょう。つまり、安堂は松岡をおびき出す必要がありません。したがって、安堂は消去されます。
 一方、鶴見亮は引きこもりに近い状態で、ほぼずっと家にいるので、松岡が彼の自宅にこっそりと住んでいたならば、鶴見は松岡にずっと見られているようなものだったはずです。鶴見が〈コーポ椿〉に行こうとすれば、松岡にすぐに気づかれてしまう。つまり、鶴見は松岡をおびき出す必要があります。
 以上から、鶴見亮が犯人だと結論付けられます。
 松岡は一度は〈コーポ椿〉に引っ越したものの、以前、トラブルになったたちの悪い情報商材業者が新住所を突き止めて嫌がらせをしてきたので、別の場所に住むことにした。そこで思い浮かんだのが鶴見亮の自宅でした。松岡は鶴見亮かその父親の何らかの弱みを握っていて、鶴見は言うことを聞かざるを得なかったのでしょう。
 鶴見の方は松岡が邪魔でたまらなかったが、弱みを握られているので同居させざるを得ない。やがて鶴見は、松岡が弱みのネタを〈コーポ椿〉の部屋に隠していることに気づきます。〈コーポ椿〉の部屋を捜索したいが、鶴見は引きこもりに近い状態で、四六時中、松岡に見られているも同然です。
 そこで鶴見は、別人のふりをして松岡の携帯に電話をかけ、松岡を新宿におびき出し、その隙に〈コーポ椿〉の部屋を捜索することにしました。松岡は新宿に出かけたが、騙されたことに気づいた。鶴見が〈コーポ椿〉の部屋を捜索するために自分をおびき出したのだと悟った松岡は、タクシーを拾って〈コーポ椿〉に急行、そこで鶴見が弱みのネタを探している現場を押さえますが、パニックに陥った鶴見に殺されてしまいます。
 我に返った鶴見は考えます。松岡は、〈コーポ椿〉に住んでいたように見せかけなければならない。そうしなければ、警察は松岡がどこに住んでいたかを追求する。そして、鶴見の自宅に住んでいたとわかれば、なぜ、松岡を住まわせていたのかと怪しまれ、そこから、松岡が鶴見の弱みを握っていたことがばれ、鶴見は犯人だと特定されてしまうだろう……。
 そこで鶴見は、松岡が〈コーポ椿〉に住んでいなかったことを示す証拠であるエアコンのフィルターを持ち去ることにしました。
 鶴見は松岡が「非定型縊死」を遂げたように偽装しましたが、これにも理由がありました。問題の部屋は、首吊り自殺があったといういわくつきの物件ですから、その呪いを受けたような死に方をさせておけば、松岡がその部屋に住んでいたという思い込みを強めることができるのです。
 綸太郎は問題編の最後で、「監視カメラに映らなかったからこそ、犯人はそうする(筆者註・エアコンのフィルターを持ち去る)必要に迫られたんです」と述べています。私の推理は、綸太郎のこの言葉を説明することができるでしょうか。
 私の推理では、犯人が監視カメラに映らなかったのは、同居していた松岡から〈コーポ椿〉の場所を詳しく聞いており、事件当日の夜、松岡を新宿におびき出したあいだに〈コーポ椿〉に向かうときも、事前に下見せずぶっつけ本番で大丈夫だったからです。そして、松岡が本当は犯人の自宅に住んでいたことを隠すために、犯人はエアコンのフィルターを持ち去る必要に迫られました。監視カメラに映らなかったからこそ、犯人はエアコンのフィルターを持ち去る必要があった――と言えるわけで、私の推理は、綸太郎の最後の言葉を説明できていることになります2021.2.23追記:読み返してみると、この段落での私の主張は苦しすぎます。残念ながら、私の推理は「監視カメラに映らなかったからこそ、犯人はそうする必要に迫られたんです」という綸太郎の言葉を説明できていません)

 ひょっとしてこの推理は正解かも、とわくわくしながら解答編を読んだところ……見事に外れていました。
 本作の真相は、盲点を突いたシンプルで美しいもので、さすが法月さんだと感嘆しました。
 私の推理は、エアコンのフィルターを持ち去った理由が違っていましたし、そもそも、フィルターの謎を推理の発端とした時点で間違っていました。推理の発端を何にするかが重要なのだと、今さらながら思います。推理の発端を間違うと、誤った仮説が形成され、それに引きずられて、手がかりや伏線の解釈を誤ったり、本来、手がかりや伏線でないものをそうだと思い込んだりすることになるのです。
 もっとも、誤った推理をして、その間違いぶりを楽しむのも犯人当ての醍醐味のひとつだと思います。私の推理もそのように楽しんでいただければ幸いです。
 久しぶりに犯人当てに挑戦してあれこれ頭を悩ませ、とても楽しい時間を過ごすことができました。『ミステリーズ!』の懸賞付き犯人当て小説の企画は、これからもどんどん続けていただきたいものです2021.2.23追記:『ミステリーズ!』は終刊しましたが、東京創元社さんの新たな文芸誌で犯人当て小説企画を続けてくださることを願っています)