京本はどこにいる?

「なぜ描くのか。」みたいな問いは、私たちが何かしら行き詰まった時の、ちょっとした、けれども大きな自信につながるという感覚がある。色々なことに悩まされたり、人からの貶すわけでもないかもしれないが、きこえてくる少しうざったいくらいの会話だったり。そいつらを跳ね除けるほどに私たちを気高く保たせてくれる魔法の言葉が意外にも存在する。

 なぜなのかの問い、ここでは描き続けることだったけれども、のその答えは隣に京本がいて、彼女がいつも、すごく喜んでくれたから。そんなにはしゃぐなんてちょっと意外かも、でもまぁ、もうちょっと頑張ってみてもいいかも。顔を逸らし、そっぽを向きながらも内心めちゃくちゃに喜んでいる藤野の姿が脳裏に浮かぶ。

自分が今やっているあらゆることはその根拠に京本みたいな存在が絶対いることに気づく。
 「それができるなんてすごいね!」
 「私にも描いてよ!!」
 「このデザインかっこいいからこれにしよう!!」
とかそういう嬉しくも、彼らが喜んでいる姿を見て少しだけ、ほんの少しだけ頑張ってみようと思ってやり続けた結果で、今はこんな立場にいるんだよなぁ。
 私が絵を描くことで、自然とみんなが喜んでくれたから、褒めてくれたから、なんだかんだ違うような職業になったとしても、時間が取れなくなっていっても、結局お前を思い出して、つい筆をとってしまうのだから、別の意味では本当に呪いの言葉だよ。

 私も小学生のころは彼女らと一緒で、漫画を描いてはそれを見せては賑やかしをしていたから、そういうのがフラッシュバックしてちょっとしたノスタルジィに引っかかってしまう。

 私たちは、藤野から見た京本に対してしっかりと接することができるだろうか。私はできなかった記憶しかない。私にとっての京本のようなやつとは対峙したくもないし、視界に映らないように気を配って、全く彼女とは関わりがありませんでしたくらいにしていたから、彼女らのライバルでもありながらも切磋琢磨する仲間のような存在として描かれる2人の友情に目が眩む。

 なにかに行き詰まったとき、意味や意義が見出せなかった時、筆がを動かす手が止まった時、振り返ってみて、そこに京本の笑う姿が見えたなら。喜んでくれる姿が思い出せるのなら。どうやったって治らない不治の病のように、それを続けられるはず。

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