20/10/27

少し前が母の誕生日で連絡とったら、ママもうすぐ年金もらうのよ〜、みたいなことを言っていて悲しくなってひとりでしくしく泣いた。といっても未だ57の歳。

母は私のことを理解してくれる人ではなくて、母が言ってることはわからないし、かけてくれる言葉も昔からそんなんがほしいわけではないといつも思っていた。親なのに何もわかってくれないというもどがしさ、おばあちゃんはわかってくれるのに、と身勝手な期待をずっとしていた。でも親も他人だからと最近はようやく思う。親は絶対ではないことと自我の芽生えはきっと教えだ。母もきっと、ピンとこない顔をしている子をみて辛かっただろう。

母は何も理解してくれないけど、私が嬉しかったら嬉しがってくれるし悲しかったら悲しいみたい。私のことを無条件でだれよりも大切に思ってくれるのも母で、そんな人はもうこの先現れないというのがわかる。理解してくれたり、大切に思う人は現れるかもしれないけど、私という存在を丸ごと包んでくれて無条件で味方でいてくれる人は、先にはきっといない。

自分にとって遠い未来の"年金"を母がもらうという事実に打ちひしがれた。それこそ雲の先の遠い場所のように思っていた別れが、いつかは居なくなってしまうということが確かに近づいているという実感で、母のいない未来に自分が向かっていることに、絶望を感じて悲しくなってめそめそした。自分が価値がないと思っている場所へ向かうことは呪いで、それはとても悲しい。

考えすぎだ、今できることやっていこう、そういうふうに考えることができてえらい、とかそういうことではなくて、こういう感情があったという事実の記録。それ以上でも以下でもない。

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