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山内志朗『天使の記号学』を読む

この書物で大事なキーワードは「ハビトゥス」です。

意識とは、生物としての人間個体が、外界との間で行っている情報や物質の交換過程においては、門番として機能しているのであって、入場と退出の情報について把握しても、内部においても外部においても何が起こっているのか十分に把握しているわけではない。内部を司る重要な機能がハビトゥスであり、精神の機能のほとんどはハビトゥス、いやもっと奥深い潜在的作用において営まれている。私はそれを「ハビトゥスの審級」と呼び習わしている。ハビトゥスとは、隠れている媒介なのである。

――p.184 第4章「肉体の現象学」

そのハビトゥスに、チャクラのイメージを重ねたい。

人間はハビトゥスを介して世界を織り上げ、世界はハビトゥスを通して姿を現してくるという言い方もできる。精神と身体は相互浸透し合っている以上、人間のすべての意識作用は、たとえいかに瞬間的なものであろうと、過去と未来、可能性と現実性、偶然性と必然性などからなる移行過程を含んでいる。ハビトゥスとは、そういった生成とプロセスを支える潜在性の構造のことなのである。

――p.244 第6章「普遍とリアリティ」

そのハビトゥスって、チャクラのことですよね?

この書物は難解なので、議論の表面をなぞるだけにしました。次の引用も、著者の思考に乗って、類比で空想するに留めておきます。

人間の精神は肉体の厚みと不透明さによって覆われているために、記号を使わなければ精神は交流できない。ところが、この記号というのは知性的かつ感性的なものであり、必ず、少なくとも二つの層から成り立っている。記号は、目や耳や触覚において感覚されるために、感覚しうる性質、物質性(紙とインク、音声、凹凸など)を有している。ところが、物質性はそれ自体では意味を担い得ない。たとえば、いかに深淵な書物であろうと、文字が読めなければ、紙とインクの塊でしかないことを考えればよい。解釈するための規則が定まっていて、記号を受容する人間の方に、意味を見出す能力・解釈する能力が備わっていなければならない。
 実に当たり前の話である。ところが、物質の側面(質料的側面)と、意味の側面(形相的側面)が結びつくことは自明でも簡単なことでもない。両者を結びつける規則が、恣意的であるということもある。さらに、記号の質料と形相は、人間の精神と身体の関係と同じように異質のものだ。一方は、感覚可能であるのに、もう一方は感覚可能ではない。言い換えれば、一方は〈目に見えるもの〉なのに、もう一方は〈目に見えないもの〉だ。なぜこのように異質のものが媒介されるのか。

――pp.197-198 第5章「媒介の問題としての〈存在〉」

スピリチュアルな予備知識ですが、チャクラが創作できる高次の電磁的知性体もいるとか・・・。チャクラはどうなっているのでしょうね。

以上、言語学的制約から自由になるために。